eSOM (イゾーム)
Dへの道、あるいはシン高と幸和の物語
eSOM: Dへの道(95)オードリー・タンとの対話(3)
『eSOM: Dへの道』第二部(32)
10/30~31/2025
1.
オードリー・タン氏との対話を通し、幸和グループと同様に彼女も、DDを生産するにあたって、SDGsを統制的理念としDDのための教育プログラム(「108」)を生産していることを知りました。
そのことを知った私は、とても感慨深かったわけですが、その訳を説明しようとして、ここまで言葉を費やしてきました。
私は、2018年に大学教授職を辞し、Dを基にした世界の生産に着手し始めました。
暗中模索の中の唯一の光は、柄谷行人さんのカント論から発想を得たSDGsでした。
そこからまず私は、当時、園長を務めていた「のぞみ幼稚園」(広島)に国際バカロレア(IB )を導入しました。
教育哲学・思想史を主要テーマとする社会思想史家であった私は、IBがSDGsの担い手を育むためのプログラムであることを確信していたからです。
この、西日本初となる一条校幼稚園へのIB導入の試みにより、新谷耕平理事長をはじめ、同じ目標に向かって行動する仲間との本格的な接続が始まりました。
「(リゾーム的)アソシエーション」の生産の始まりです。
「のぞみ」での経験から、「IBは、SDGsの担い手育成のための教育プログラムである」という命題の正しさが、より揺るぎないものとなりました。
そこで私たちは、IBを基にした「幸和メソッド」という独自の教育ガイドラインを生産しました。
そしてそれをもとに、「のぞみ」をはじめ、当時、国内だけですでに全部で4つあった幸和グループの認定こども園と直結する、シンギュラリティ高等学校(SHS)の生産を開始しました。
2.
このSHSの生産は、レゴシリアスプレイ(LSP)の石原正雄さんとの接続でもありました。
石原さんおよびLSPとの接続は、そこから数多くのさらなる接続が放射し始めたという意味で、SDGs並みの「導火線」であったと言えます。
この接続により私は、「LSPは、IBの目標を達成するための最適なトレーニング・メソッドである」という命題(1)に辿り着きました。
それは同時に、「LSPは、SDGsの目標17「パートナーシップで目標を達成しよう」を達成すべき課題(=統制的理念)とし、同課題解決のための計算論的実践(コンピュテーショナル・アクション、CA)そのものであり、かつ、CAを身に着けるために最適なトレーニングである」という命題(2)の獲得でもありました。
また、この命題は、「LSPの背景にある哲学ラスムセン・ビジョン・スクール、RVS)が、SDGsの目標17「パートナーシップで目標を達成しよう」そのものであり、LSPが達成すべき課題かつ統制的理念(カント)として機能している」という命題(3)を前提としています。
Q. コロぴょん、マサチューセッツ工科大学(MIT)では、computational thinkingをcomputational actionと呼ぶのが一般的らしいですね。その背景も含め、この点について詳解してください。
Q. コロぴょん、「SDGsの目標17「パートナーシップで目標を達成しよう」は、SDGsの他の16の目標すべてを達成するための「メタ目標」であり、複雑な利害関係者が協働するという、現代における最も困難な「システム課題」そのものである」という命題を論証してください。その上で、「レゴシリアスプレイ(LSP)が、この課題を、コンピュテーショナル・シンキングを用いて解決する手段である」という命題を検証してください。
上記の三つの命題を接続すると、「IBは、目標17をはじめとするSDGsを、ATを通して達成出来る人間を育むための教育プログラムであり、LSPは同プログラムを遂行するための最適なメソッドである」という命題が成立します。
この命題の獲得は、幸和グループと石原さんの接続をより強固なものとし、そこから以下の三つの新たな接続が派生しました。
まず第一に、石原さんは、MITとタフツ大学CEEOと繋がりを持ち、そのおかげもありSHSは、開校初年度からDXハイスクール採択校に選出されました。
また、この選出があったからこそ、「アンカー」と接続することが出来、それによりソーシャル・ビジネス科の生産が可能になったことも忘れてはならないでしょう。
第二に、石原さんとの接続は、眠っていた私の数学への愛を蘇らせてくれました(物理学者を志していた私は、はじめ大学で数学を専攻していました)。
そしてそれは、聖光学院の数学科・情報科教諭の名塩隆史先生との接続へと展開していきました。
古今東西の優れた師に恵まれた私ですが、「先生」という称号付きでお呼びするのは、九鬼周蔵先生(哲学者・美学者)と小津安二郎先生(映画監督)の二人だけでした。
そこに、東大理学部数学科出身で、現在、(ポスト)AI時代のための数学の教科書を執筆中の名塩先生の名を連ねさていただき、私自身が彼から学んだことを、幸和グループの数学および理数系の教育全般に取り入れていきます。
この数学愛の復活は同時にAI熱の高まりであり、それがオードリーとの接続へと展開してゆきました。
それが、石原さんとの接続がもたらした第三の新たな接続です。
と同時に、このオードリーとの接続は、元を正せば、1994年2月25日にコーネル大学キャンパスで起きた、彼女が敬愛して止まない柄谷さんと私の出会いに端を発します(今年5月からの私とオードリーの交流を取り持ってくれたのも柄谷さんでした)。
このオードリーとの接続は、彼女が、私同様、柄谷さんの「言語、数、貨幣」に関する一連の論考を敬愛し、STEM(Science, Technology, Engineering, Mathmatics)の天才でありながら、その根底にA (Art, Liberal Arts)があることを誰よりもよく知ることからも、必然的なものでした。
Q. コロぴょん、柄谷行人さんの「言語、数、貨幣」に関する一連の論考を、それを論じた主要テキストについても含め、これ以上ないほど詳しく紹介してください。そしてあなたの答えと、タン&ワイルの著作『⿻ PLURALITY』の関係を詳解してください。
『⿻』の理解を深めるのに役立ちそうな、以下のようなオープンソースの電子図書を発見しました:
The Digitalist Papers
3.
上記の、柄谷さんの「言語、数、貨幣」論に端を発する一連のコロとの問答は、同論と彼の交換様式論の関係の説明、そして、柄谷哲学(「言語、数、貨幣」論×交換様式論)というフィルターを通した『⿻』のエッセンスの抽出となり、思わぬ収穫でした(細部の議論の正確さはともかく)。
この問答は、『⿻』を読み解くにあたっての、優れた導きの糸となることでしょう。
こうした繋がりを直観しながら、「Dは⿻であり、Dを基にした世界はDDである」という命題の下、SHSおよび幸和グループ全体の生産は進行してきました。
そして10日前のオードリーとの会談へと至ったわけです。
会談のきっかけとなったのが、オードリーの自伝的短編映画『Good Enough Ancestor』です。
Good Enough Ancestor
私は、『Good Enough Ancestor』に関して、計9本におよぶ『eSOM』を書きました。
そのぐらい彼女の人生と、彼女が行っていることに思うところがあったわけです。
それらは全て以下の『eSOM』(32)に含まれています:
eSOM: Dへの道(32)オードリー・タンへの手紙
彼女がそれらを全て精読してくれたことがよく分かる丁寧なメールを、彼女から頂きました。
そうして私たちの交流が本格的に始まり、今回の訪台に至ったわけです。
3.
このように私たちは、SDGsを発火点=統制的理念とすることにより、開校からわずか半年でSHSを、ここまでの「アソシエーション」として生産することが出来ました。
そして、台北(淡水)でのオードリーとの会談で知ることとなったのは、オードリーも同様に、SDGsを統制的理念とするDDの教育プログラムを生産してきたということです。
しかも、「108」と、その実装であるUSRという国家政策として、かつ、「USR国際協力・交流のプラットフォーム」である、「日台大学連盟」という規模にまで成長した「アソシエーション」として。(『eSOM』94参照)
さらに私を驚かせたのは、SDGsを統制的理念としてDD(私の場合は当初は「Dを基にした世界」)の生産とそのための教育を行い始める端緒に、「SDGsの産みの親」と言ってもよいであろう、ジェフリー・サックスがいたということです。
次回は、ジェフリーとオードリーの接続の話から、この物語の続きを始めましょう。
(つづく)