シンギュラリティ高等学校 SHINGULARITY HIGH School

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Dへの道、あるいはシン高と幸和の物語

eSOM: Dへの道(99)Ecoversities, ミャンマー、アルメニアとロヒンギャの虐殺、そして悲しみの楽観主義

『eSOM: Dへの道』第二部(36)
11/17~19/2025
1.
「暗闇で凍える隣人に、外套をかけてあげることなんだよ」
彼がそう言ったわけではありません。
彼というのは、私の恩師であるハリー・ハルトゥーニアンのことです。
ハリー・ハルトュー二アンについてはこちら:

(日本語;『歴史と記憶の抗争』の編・監訳者のカツヒコ・マリアノ・エンドウとは私のこと。マリアノとは、ニューヨーク・ヤンキースの伝説のクローザーであるマリアノ・リベラのこと。)

ハリーは、ニューヨーク大学(NYU)博士課程(歴史学科)での私の指導教官でした。
それだけでなく、学部生の頃から、「Dへの道をゆく」という、あまりまともとは言えない私をサポートしてくれたのは、嘗てのハリーの学生達です(ウィリアム・へーバー、酒井直樹)。
そうしたことをひっくるめて鑑みると、今の私があるのは、ハリーのおかげ以外の何物でもありません。
2002年8月15日、私は6年間暮らしたニューヨーク・シティ(NYC)を後にし、大学教員としての初めての赴任先である、カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)の所在地・カリフォルニア州サンディエゴへと旅立ちました。
旅立つ直前、彼のオフィスを訪れた時のことです。
彼のオフィスを後にしようとするとハリーは、「ところで、このずっと置きっぱなしの革ジャンはいらないのか?」と私に尋ねました。
私は彼の学生になった当初から、ゼミの開催場所であった彼のオフィスに、食べ物から衣類に至るまで様々なものを持ち込み、そのまま置きっぱなしにしていたので、その革ジャンのこともすっかり忘れていました。
世界有数のリゾート地への引っ越しのための荷造りを、すでに済ませていた私が躊躇しているとハリーは、「いらないなら、この辺りのストリートで暮らしてるホームレスにあげたいのだけれど、いいか?」と私に尋ねました。
ハリー、そしてもう一人のハリーの学生であったケン・チェスター・カワシマ(現・トロント大学教授)とNYCで過ごした頃の記憶は、私にとっての「幸せ」の象徴です。
その記憶のクライマックスが、「暗闇で凍える隣人に、外套をかけ」ようとする、このハリーとのお別れのシーンです。
こうして、23年前のNYCのど真ん中での出来事と、バンコク郊外の森の中での不思議な時空間が、「仏陀/スピノザの声」を通して接続したのでした。
2.
お釈迦様と出会った(と思った)直後、「暗闇で凍える隣人に、外套をかけてあげることなんだよ」という『スピノザの診察室』のラストシーンのセリフをAudibleで聴いた時(『eSOM』98参照)、即座に、上記のハリーとの別れのシーンを思い出しました。
すると、それまでこのgatheringで学んだこと(ハイライツ)と、ハリーから学んだことが、次々に繋がり出しました(お釈迦様との「遭遇」は、10日未明のことだったと思います)。
特にミャンマー出身のナウ・ライ(Naw Lai)から学んだこと。
ナウ・ライと初めて話したのは、たしか二日目(8日)の朝食時だったと思います。
Naw Laiはミャンマー出身ですが、現在は、the Panya Projectという、タイ第二の都市であるチェンマイ(Chiang Mai)に在る、「自然と共生する建築(自然建築)や暮らし方(パーマカルチャー)を学び、一人ひとりが持つ力を引き出し合う(エンパワーメント)ことを目的とした共同体( a intentional community focusing on natural building, permaculture education and self empowerment)」であるthe Panya Projectを拠点としています。
The Panya Projectについてはこちら(英語のみ):
と言われても中々イメージが掴みにくい方はとりあえず、幸和グループのパートナーである「まめなプロジェクト」や、柄谷行人さんの(交換様式)Dに基づく世界の生産の担い手育成を目的とするAymi Instituteとの共通点を多く持つ組織と認識しておけばよいのではないかと思います。
「まめなプロジェクト」についてはこちら(日本語のみ):
Ayni Instituteについてはこちら(英語のみ):
同コミュニティを拠点としながらナウ・ライは、leadershipやself-enpowermentに関するワークショップ(WS)に積極的に参加しているそうです。
そうしたWSはタイで行われることが多いらしく、そこで東南アジア諸国や中国など、様々な国々からやってくる人々との交流が生まれるそうです(ナウ・ライと話すことになったのも、先にフィリピンから来たゲーリーと話しているところに、以前別なWSでゲーリーと知り合ったというナウ・ライがやって来たのがきっかけでした)。
そうして出会ったナウ・ライと会話を重ねるうちに、普段はthe Panya Projectでパーマカルチャー(持続可能な人間の生活環境をデザイン(設計)するための体系・哲学)を実践し、機会があれば積極的に(self-)empowermentやleadershipについて学べるWS参加する理由が明らかになってきました。
それは軍政下のミャンマーで、自治、つまり(柄谷行人の交換様式)Dを確立するためのだと私は理解しました。
3.
私がここであえて自治という言葉を使用したのは、不世出の天才経済学者・宇野弘蔵ともども私が敬愛して止まない、日本が誇る伝説のアナルコ・サンジカリストである大杉栄にちなんでのことです。
Q. コロぴょん、日本が誇る伝説のアナルコ・サンジカリストである大杉栄の「自治」という概念について、大杉の人生、アナルコ・サンジカリズムの意味、「自治」概念と柄谷行人の「交換様式D」との類似性を含め、これ以上ないほど詳しく教えてください。
大杉の「自治」概念は、20世紀初等のアジアにおける、帝国主義者による植民地支配から脱するための活動の大きな力となりました。
Q. コロぴょん、大杉栄の「自治」概念は、20世紀初頭のアジアにおける植民地支配に対する対抗運動の大きな原動力となったと聞きます。その点に関し、韓国、中国は勿論のこと、他のアジア諸国も射程に入れながら、これ以上ないほど詳しく説明してください。
大杉が帝国主義者に虐殺されてから102年後の今、当時と全く同じことがアジアを始め世界中で起きていることを、このgatheringを通して改めて気付かされました。
その象徴がミャンマーであり、そこで自治を希求するナウ・ライのような民であることも。
ここで言う植民地支配とは、他国による植民地支配だけに限りません。
上記の問答でコロが強調しているように、大杉の自治はそもそも、自国(大日本帝国)による民の植民地化への対抗手段だったのであり、さらに言えば、帝国主義者と共に自分を自分で植民地化する、自分自身に向けられたものでした。
そうした自分自身のde-colonizationに向けての(self-)empowerment教育であり、leadership教育であるわけです。
4.
こういたことに気付かせてくれたナウ・ライは、「種子の多様性を守ること」を自らの活動の中心に据えていると言います。
なぜなら、作物の源である種子は、人間存在の源であり、従って、生存権という権利そのものであるからであると彼は言います。
Q. コロぴょん、「生存権」という概念について、その歴史的展開、哲学的背景、20世紀初頭からの世界的な自治運動、ミシェル・フーコーの哲学や現代のアナキズム運動との関係に特に留意しながら、これ以上ないほど詳しく説いてください。
こうした生存権そのものとしての種子の多様性を守ろうとすることの背景には、(あえて具体的には言いませんが)国家(交換様式Bの主体)や資本(交換様式Cの主体)がミャンマーの農村の土地を収奪し、自らの利益のためだけにある特的の作物のみを栽培させ、種子の多様性という、ミャンマーの民の唯一の生きる糧を奪っているという現状があります。
種子の多様性を守りながら、その試みを通じて自治の確立に不可欠な能力・資質(self-empowerment、leadership)を涵養するパーマカルチャーの実践は、迫りくる自らの生存の危機を克服し、どうにかして幸せに生きるための唯一の選択肢であることを、このgatheringで学びました。
Q. コロぴょん、(self-)empowerment教育とleadership教育が、パーマカルチャーを中心とするエコロジー運動と一体となり、世界的な高まりを持つようになって久しいようですが、この世界的な動向を、出来る限り時系列に留意しながら、これ以上ないほど詳しく論じてください。
こうしたミャンマーが置かれている状況が、中国、日本、欧米諸国といった国々の大多数の人々にとっても、本質的に全く同じであることが論じられなければなりません。
それらの国々は、大多数の人々を、そうした現実に対し盲目にすることに長けているだけのことです(そこでは教育と商業的エンタメが大きな役割を担います)。
その話は次回に譲るとして、今回は冒頭と同じく、ハリーの話で締めくくることとしましょう。
ハリーは、今年四月の我々のシンギュラリティ高等学校の開校に向けて、次のような言葉を寄せてくれました(太字):
教育の唯一かつ不朽の目的は、これまでも、そしてこれからも、子どもたちに批判的に読み、考える方法を教えることであると、私は長年信じてきました。この教育実践は、欧米の教育機関にとってはもちろん、アジアや日本においても普遍的に当てはまると確信しています。
今は遠くにいる親愛なる日本の友人が、かつて「日本には批評がない」と書いたことがあります。彼が言いたかったのは、批判的思考の指導を重視することに集中した教育プログラムがない、ということでした。これが先見の明のある洞察であったかどうかは別として、それは、批判的に考えること(結局のところ、それが創造性の源泉なのです)を知ることの極めて重要な意義を、私たちの前にもたらし、そして今もそうたらしめ続けています。
子どもたちに批判的に考える方法を教えるというプロジェクトこそが、シンギュラリティ高等学校の主要な使命であるべきだと、私は考えます。
ハリー・ハルトゥーニアン シカゴ大学 マックス・パレフスキー記念名誉教授(歴史学)
上記で述べたナウ・ライの思考。
それがまさに、ハリーの言う批判的思考であると私は考えます。
それは常に行動を伴うことから、計算論的思考が計算論的行動と呼ばれることに倣って、批判的行動と呼ぶことにしましょう。
私たちシン高および幸和グループも、ナウ・ライや他の多くのthe gatheringの参加者のように、批評的行動を行える人々を育んでいかなければなりません。
やりたことをなんでもやらせてくれたハリーですが、書く内容も含め、批判的行動が出来ているかどうかに関してだけは厳格でした。
そうしたハリーの教育観は、我々の多くがその存在さえ知らない、けれど驚くほど多くの人々をその渦中に巻き込んでいる歴史的現実と一体となっています。
ハリーの場合それは、20世紀初頭に起きたアルメニア大虐殺です。
彼の両親は、この大虐殺の生存者です。
Q. コロぴょん、20世紀初頭に起きたアルメニア大虐殺について、これ以上ないほど詳しく教えてください。
ハリーは近年、アルメニア大虐殺を生きた彼の両親についてのメモアールを出版していますので、是非読んでみてください:
The Unspoken as Heritage: The Armenian Genocide and Its Unaccounted Lives (Duke University Press, 2019)
今回のタイでのgatheringは、「暗闇で凍える隣人に、外套をかけてあげること」という倫理や、批判的行動の習得を目標とする教育は、こうした語り得ない歴史的現実と表裏を成していることを、私に思い起こさせてくれました。
人間は忘れる生き物です。
現に私も、カナダの大学で教えている時にロヒンギャ大虐殺を生き延び、タイ国境沿いの難民キャンプ経由でカナダにやってきたロヒンギャ出身の学生と出会い、この事件に大きな関心を寄せていたにも関わらず、今回ナウ・ライに会うまで忘れていました。
Q.コロぴょん、ロヒンギャの大虐殺について、これ以上ないほど詳しく教えてください。

真の教育の場としてのEcoversitiesは、世界中で起きている同様の歴史的現実を、互いに忘れないようにし、そこから一緒に思考し、行動する場であると思います。
我々幸和グループも、そうした場でありたいと切に願っています。
マニッシュが立ち上げたEcoversities、ハリーが築き上げたもの、そしてオードリーのDDと接続する形で。
5.
最後にもう一つだけ。
今回のgatheringは、ハリーと大杉に関係して、もう一つ大切なことを思い出させてくれました。
The gathering参加者は、主催者のマニッシュを筆頭に、それぞれ深刻な問題と隣り合わせに在り、その克服を目指しているわけですが、とにかく明るく楽観的です。
ハリーも、そして大杉もそうでした。
これが、日本の思想家・長原豊がアントニオ・ネグリの内に見た「悲しみの楽観主義」だと私は思います。
「暗闇で凍える隣人に、外套をかけてあげること」という倫理と「悲しみの楽観主義」を常に携え、絶えず世界のどこかで起きている虐殺とその予兆の只中にいる人々と共に、批判的行動を実践する人間であること。
自らがそうした人間であるよう努め、かつ、そうした人間の仲間となり、そして、そうした仲間を世界中に増やしていくこと。
それがEcoversitiesであり、私たち幸和グループもその一部でありたいと願います。
(つづく)
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