eSOM (イゾーム)
Dへの道、あるいはシン高と幸和の物語
eSOM: Dへの道(98)Ecoversities, AI, 仏陀、スピノザの『エチカ』、オードリー・タンの『ケアの6パック』
『eSOM: Dへの道』第二部(35)
11/15~16/2025
1.
前回(『eSOM』97)の最後の部分で、テクネ―(ハイデガー)としてのD/⿻の活用によるEcoversitiesとDDの接続、そしてこの接続によるDの生産について論じました。
『eSOM』(97)はこちら:
これをWhatsAppの今回の集まりのグループに投稿しようとした寸前、今回のgatheringの参加者の一人であるWendy Mayが、以下のYouTube動画を投稿しました:
Staying Human and Sovereign in the Age of AI
その直後に私も、「This may or may not resonate with Wendy’s post above. It should since, although I haven’t watched her video yet, I already feel a good vibe.」というコメントを添えて、私の文章を投稿しました。
その直後、学校に向かう道すがら彼女の動画を聴き始め、即座に私の直観の正しさを悟りました。
動画と一緒に投稿された今回のgatheringについての彼女の文章も素晴しく、早速私は、Substack(サブスクリプション型のコンテンツ配信アプリ)での彼女の連載(Maybe We)の購読を始めました。
Maybe Weはこちら:
The gathering最終日にマニッシュから「今回のハイライトは何だった?」と聞かれましたが、ウェンディが生産するコンテンツとの出会いは、間違いなくその一つです。
特に上記のAIに関する動画は、前回論じたように、EcoversitiesとDDの間にある「大きな溝(chasm, cliff, crack)」からD/⿻という「光」が射し、それを基にDDを生産していく力となるでしょう(「光」に関しては、Good Enough Ancestorの9:00頃からを参照のこと)。
Good Enough Ancestor
2.
さて、マニッシュに尋ねられた「今回のハイライトは?」という問いに、答えていくこととしましょう。
最終日にそう尋ねられた際に私は、「沢山あるから、後でそれについて書いて送る」と答えました。
旅の疲れも癒えてきた今、その中でも最も大切な「ハイライト中のハイライト」が何かが、はっきりと分かります。
今回はそれについて書きましょう。
今回のgatheringの会場となったMabu Ueang Agri-Nature Center(MUANC、 マブ・ウアン・アグリネイチャー・センター)は森の中にあります。
MUANCのHPはこちら:
センターはとても広く、トイレに行くのも一苦労です。
部屋にも備え付けのトイレがありましたが、私は4人いた他のルームメイトを起こさなために、外の共同トイレを使用していました。
歩いて数分かかる共同トイレを使用したのは、それだけが理由ではありません。
私たちの部屋はお寺の傍にあり、共同トイレに行くには、境内を通って行かなければなりません。
6日(木)夜に到着して以来、お寺を中心にして、センター全域に不思議な力を感じていた私は、何か良いことが起こる期待を持って、午前3時前後に外に出て行ったのです。
トイレから戻って来る道中、ライトアップされた金の仏像があり、私はしばらくその前でお釈迦様を凝視していました。
その後、網戸を開けて部屋に入ろうとすると、なんと暗闇の中から、ちょっと前まで対峙していたお釈迦様(の仏像)そっくりの、袈裟をまとった人影が出て来るではありませんか。
しかしそこで私は大して驚くこともせず、それも当然のことと思い(単に寝ぼけていただけかもしれませんが)、そのままオーディブルで小説を聴きながら床に就きました。
(朝起きてすばらくしてから、この「袈裟をまとった人影」のことを思い出し、「あれはお釈迦様に違いない!こりゃ、大変なこっちゃ!」と思い、ルームメイトに話すと彼は、「それは隣に住んでるお坊さんですよ」と教えてくれました。隣の部屋は普段は鍵がかかっていたので、私は誰も住んでいないと思い込んでいたのです。ちなみに「ここで泥棒の心配など全くない」ということで、私たちの部屋には鍵がありませんでした。)
3.
「お釈迦様とすれ違ってしまった」と普通に思いながら、オーディブルで夏川草介の『スピノザの診察室』の続きを聴き始めました。
お釈迦様に出会った(と思った)直後に聴き始めたのは、小説のクライマックスでした。
以下の引用は、スピノザを敬愛する主人公の医師・哲郎が、自分の患者が亡くなった後に、助手である南に語る言葉です。
私はこの言葉(太字)を、それを聴く直前に私の前に現れた(と思った)お釈迦様の言葉として聞いたのです:
「これで良かったのか……、とは私は考えないようにしているんだ」
先を歩く哲郎が続けた。
「これで良かったのだと、自信をもって言ってやりたいが、それほど医療というものは甘くはないし、私の心も強くない。だから、私が言えることはいつもひとつだけなんだよ」
足を止めた哲郎は、高く澄んだ空を見上げた。
「本当にお疲れ様でした」
短い言葉が、空に昇って消えていった。
哲郎は、日差しに目を細めたまま動かない。
夏と秋の溶け合った季節の狭間の風が、ふわりと二人の間を過ぎていく。どこかでかすかに、自転車のベルの音が響き、遠ざかっていった。
「私はね、南先生」
ふいに哲郎が口を開いた。
「医療というものに、たいした期待も希望も持っていないんだ」
唐突な言葉が路地に響く。
南はたじろがない。ただ黙って、耳を澄ます。
「医者がこんなことを言ってはいけないのかもしれないが、医療の力なんて、本当にわずかなものだと思っている。人間はどうしようもなく 儚い生き物で、世界はどこまでも無慈悲で冷酷だ。そのことを、私は妹を看取ったときにいやというほど思い知らされた」
わずかに口をつぐんだ哲郎は、「けれども」と続ける。
「だからといって、無力感にとらわれてもいけない。それを教えてくれたのも妹だ。世界にはどうにもならないことが山のようにあふれているけれど、それでもできることはあるんだってね」
哲郎の淡々とした声が、少しずつ力を帯びていく。
「人は無力な存在だから、互いに手を取り合わないと、たちまち無慈悲な世界に飲み込まれてしまう。手を取り合っても、世界を変えられるわけではないけれど、少しだけ景色は変わる。真っ暗な闇の中につかの間、小さな明かりがともるんだ。その明かりは、きっと同じように暗闇で震えている誰かを勇気づけてくれる。そんな風にして生み出されたささやかな勇気と安心のことを、人は『幸せ』と呼ぶんじゃないだろうか」 いつか車の中で南が聞いた、あの言葉が聞こえていた。
指導医は、小柄な後輩に静かな目を向けた。
「間違えてはいけないよ、先生。医療がどれほど進歩しても、人間が強くなるわけじゃない。技術には、人の哀しみを克服する力はない。勇気や安心を、薬局で処方できるようになるわけでもない。そんなものを夢見ている間に、手元にあったはずの幸せはあっというまに世界に吞まれて消えていってしまう。私たちにできることは、もっと別のことなんだ。うまくは言えないけれど、きっとそれは……」
哲郎は、また空を見上げる。
「暗闇で凍える隣人に、 外套 をかけてあげることなんだよ」
不思議な言葉であった。
立ち尽くしたまま、ゆったりと胸の内に溢れてくる思いを、南は口に出すことができなかった。もとより言葉にできるようなものではなかった。ただ、風の音と胸の鼓動だけが聞こえていた。
『スピノザの診察室』と題されたこの小説の作者である夏川草介は、この哲郎の言葉に、『エチカ』で展開されているスピノザの思想を込めています。
それを私は、お釈迦様の声として聞いたわけです。
そして最後の晩、マニッシュに「今回のハイライトは?」と尋ねられた後、彼や他の仲間と手を取り合いながら、Yangを囲んでハワイに伝わる民謡(?)を謡っている時に確かに、私の中に「ささやかな勇気と安心」が生み出され、そして「幸せ」を感じたのでした。
4.
今思えば、仏陀とスピノザに纏わるこれらのことは私にとって、至極理にかなったことです。
まず、今回のgatheringに参加した人々に共通する願いであると私が理解した、柄谷行人さんの概念「(交換様式)D」は、こうしたスピノザの思想の影響下にあります。
Q. コロぴょん、上記の夏川草介『スピノザの診察室』からの引用は、スピノザの哲学を反映しているそうです。この引用がどのような点でスピノザの哲学を反映しているかを詳解してください。その上で、あなたが論じるスピノザの哲学と、スピノザ哲学の影響下にある柄谷行人の交換様式論(特に交換様式D)の関係を詳解してください。
そして、上記の引用中の「医療」を「AI」に置き換えれば、柄谷さんの交換様式論と、仏教や道教といった東洋思想の両方の影響下にあり、かつ、パーマカルチャーを模範とすべきという、オードリー・タン氏によるAI倫理観とその実装の仕方となると私は考えます。
オードリーのAI倫理観とその実装の仕方は、「ケアの6パック」と題された文章に示されており、これから私は、今回のgatheringで得た上記の視点から、このオードリーの文章をリミックスしていくでしょう。
「ケアの6パック」はこちら:
仏陀、マニッシュ、スピノザ、柄谷、オードリー…
彼らを繋ぐのが、「暗闇で凍える隣人に、外套をかけてあげること」という「たった一つの大切なこと(真理)」であると確信しています。
次回は、なぜそれが私にとって真理なのかをお話しましょう。
それは、このgatheringで出会った新しい友人、ミャンマー出身のNaw Laiから教わったことが大きく関係しています。
(つづく)