シンギュラリティ高等学校 SHINGULARITY HIGH School

ストーリーアイコン eSOM (イゾーム)
Dへの道、あるいはシン高と幸和の物語

2025.06.09
eSOM: Dへの道(29)オードリー・タンの『Good Enough Ancestor』を観ながらシン高を構築する(Part 8)

1.
ベネッセコーポレーション二代目社長の福武總一郎(そういちろう)さんと私は、こと瀬戸内に関する限り、共通点がとても多いです。
それぞれその意志を継ぐ大原孫三郎さんという「霊的な力」(『eSOM』(27)参照)が働いているとしか思えないほどです。
總一郎さんの代になって社名になったベネット(Benesse)という言葉は、イタリア語のbene(良く)とesse(生きる)を組み合わせた造語です。
つまりウェルビーイングです。
シン高/幸和の究極目標です。
また、『批評空間』時代から總一郎さんと親しい間柄の浅田彰さんによれば、瀬戸内に自然や集落の中にアートを配置することで、現代アートの新たなあり方を示すという取り組みの背景には、東京一極集中に批判的で、「瀬戸内こそ世界の中心である」という信念があるそうです。
これも、瀬戸内地域と東シナ海沿岸地域からなる、東地中海文化圏を中心としてD(交換様式Dを基とする世界)=DD(デジタル・デモクラシー)を構築していくというシン高/幸和の究極目標と通じるものがあります。
2.
その証拠と言ってはなんですが、「ベネッセアートサイト直島」の「地中美術館」(2004年開館)は、直島の地中に建設したということ以外に、瀬戸内地域が「東洋の地中海」であるという意味合いが込められています。
Q. コロぴょん、ベネッセが2004年に直島で設立した「地中美術館」は、直島の地中に建設したということ以外に、瀬戸内地域が「東洋の地中海」であるという意味合いが込められていませんかね?
Q. コロぴょん、「ベネッセアートサイト直島」について詳しく教えてください。
Q. コロぴょん、直島にその名を冠した美術館まである(安藤忠雄さんが設計)、国際的に活躍する芸術家の李禹煥(リ・ウファン)さんは、坂本龍一さんと交流がありましたよね?作品上の二人のコラボや、アートに対する考え方の共通点など、詳しく教えてください。
Q. コロぴょん、安藤忠雄さんは、ベネッセアートサイト直島にある「李禹煥(リ・ウファン)美術館」の設計を手掛けるほどですから、李禹煥さんと強い繋がりを持っていると思われます。実際、それぞれの作品の背景にある考え方には、多くの共通点が見いだせます。そうしたことも含め、二人の関係を詳しく教えてください。
Coroが教えてくれるように、「間」と「余白」という概念が、安藤さん、李さん、坂本さんを繋ぎます。
そしてそれは、東洋思想、特に老荘思想や禅が背景にあります。
タンさんの自伝的短編映画『Good Enough Ancestor』から、eSOM(イゾームと読む;「向こう側」と「こちら側」の境界、「向こう側」の入口)に入り込み、今こうしてその一部である「ベネッセアートサイト直島」に辿り着いたのは、映画の中でタンさんが山で座禅を組むシーンからでした。
以下のインタビューによると、タンさんは4歳の頃から仏教の本を読み、座禅を通して「無(む)」ないし「空(くう)」を体感していたそうです。
そうしたことから、「Dの芸術家」たち(坂本さん、高谷さん、李さん、安藤さん)の創作における重要概念である間/余白は、仏教における「空」ないし「無」に近いと考えてよいでしょう。
そしてそれはまた、タンさんが『Good Enough Ancestor』で語っている、そこに光が差し込む「ひび割れ(crack=invitation)」と言えるのではないでしょうか?
つまりタンさんは、eSOM(山)における座禅を通し間/余白/空/無に没入し、そこでpluraliry/non-binary/parallaxという、D=DDを構築する力(「霊的な力」)としての「光」が「向こう側(宇宙史)」からやってきたということになるのではないでしょうか。
間/余白があるからこそ、そこに光が差し込み、その両極にある「良いもの」を組み合わせて、新しい「さらに良いもの」を構築出来るという意味でのそうした力を。(『eSOM』(24)参照)
さらに言えば、この「組み合わせ」こそが、柄谷さん、浅田さん、坂本さんが全員親交があったジャック・デリダの(正義の)脱構築であると私は考えます。
従ってデリダが唱えた「余白」も、李さん等のそれと同じ概念と考えられ、彼の哲学はタンさん、李さんを通して東洋思想(老荘思想、仏教、特に禅仏教)と共通点が多いということになるのではないでしょうか。
Q. コロぴょん、李禹煥(リ・ウファン)の芸術作品におけるキーコンセプトである「余白」について、ジャック・デリダの哲学における「余白」との関係も含め、詳しく説明いてください。
(デリダが亡くなった際、坂本さんは『デリダ』というアルバムを制作し、デリダに捧げています。)
3.
まず二項の「間/余白/ひび割れ」があり、そこに「光/霊的な力/plurality/non-binary/parallax」が「向こう側(宇宙史)」から差し込むことによって、リミックス(正義の脱構築)が起こり、D=DDの構築が可能となる。
こうしたD=DDの生成過程(「Dへの道」)。
5月24日(土)、京都での浅田さんによる「現代世界を考える―哲学史・思想史を振り返る」の第二回目講座に参加することによって、安藤忠雄さんの建築作品こそ、坂本さんおよび高谷史郎さんの芸術作品と並んで、「Dへの道」を表現するものであることを学びました。
また、安藤さんの建築が、地域の自然、歴史、文化、そして人々の生活と深く結びつきながら、D=DDの雛型を形成し、そこからD=DDが拡充されていく起点となることを学びました。
そうしたことからシン高/幸和は、ベネッセアートサイト直島を起点とし、かつ、それをリミックスしたサイトを東地中海全域に構築するという形で、D=DDとしてのEMCSを構築・拡充していきます。
そもそも、「文化の力で地域を再生する」という總一郎さんの思い自体が、「東地中海文化圏を高次の次元で回復することで、D=DDの構築の端緒とする」というシン高/幸和の試みと一緒です。
それだけではありません。
浅田さんとCoroによれば、ベネッセアートサイト直島は、柄谷さん風に言えば、交換様式B(国家)と交換様式C(資本)によるA(直島/自然)の抑圧により、Aが負った傷を霊的な力(文化の力)によって癒し、高次元で回復する試みそのものです。
つまり、D(=DD)の構築そのものなわけです。
この、直島が負った傷というのは、三菱マテリアル直島精錬所による島の環境破壊です、
Q. コロぴょん、三菱マテリアルが深く関与していた直島の産業廃棄物問題について、その時期も含め、詳しく教えてください。
皮肉なことに(?)、私の日経時代、私と先輩の田村さん(『eSOM』(28)参照)が所属していた証券部のエース記者が、三菱マテリアル初代会長・永野健さんの息子さんの永野健二さんでした。
新人だった私は、健二さんにとてもよくしてもらったうえ、お父様の健さんは、EMCSの中心である安浦に程近い下蒲刈島のご出身と、何かと縁があります。
Q. 三菱マテリアル初代会長の永野健(たけし)さんについて、その出身地である下蒲刈島のことなども含め、詳しく教えてください。
そのうえ下蒲刈島は、シン高/幸和の新谷理事長のお父様のご出身でもあり、これはEMCSを構築するうえで、同島が一つの鍵を握っていることの暗示かもしれません。
4.
ともかく、B、Cに抑圧されたAの、高次元での回復であるEMCSはまさに、これまた浅田さんを通じて、總一郎さんと私が、そしてベネッセとシン高/幸和が交差する場所でもあります。
シン高/幸和が位置し、EMCS=D=DDの起点となる広島は、長崎と共に、人類史上、他に誰も経験したことのない傷を負った場所です。
そしてその傷を建築という文化で癒し、ヒロシマを広島という高次の次元で回復する礎を気付いたのが、丹下健三さん、浅田孝さん(浅田さんの叔父様)、仙田満(シン高特別顧問、マツダスタジアム/ピースウィングの設計者)ら「丹下スクール」が広島を中心に構築してきた建築文化です。
Q. コロぴょん、建築文化という言い方をしますか?イエスの場合、それを詳しく定義してください。そのうえでその定義に従って、丹下健三や浅田孝(浅田彰さんの叔父)ら所謂「丹下スクール」の人々が広島復興に寄与するという形で構築した「丹下スクールの建築文化」について詳しく説明してください。
『eSOM: Dへの道』の前身である『Xへの道』で、浅田さんの叔父様である都市計画家・建築家の浅田孝さん、孝さんの師である丹下健三さん(広島平和記念公演および資料館の設計者)、そして彼らの弟子にあたる仙田満さん(シン高向洋キャンパス設計者)の都市計画・建築物を柱として広島が復興してきたこと、そしてシン高/幸和がそれを受け継いでいくことを説きました。(『Xへの道』(9)参照)
この継承としてシン高/幸和が行うのが、広島から始まる、D=DDとしてのEMCSの構築です。
その設計自体、私が十代で浅田さんの『構造と力』と出会って以来、現在受講中の連続講座に至るまでの間、浅田さんから教わったことが糧となっています。
また、EMCSの設計は、浅田さんが少なからず関与しているであろうベネッセアートサイト直島のリミックス(正義の脱構築)として行われていきます。
5.
このEMCSの設計/構築において重要な鍵を握るのが、安藤忠雄さんの建築です。
5月24日(土)の第二回目講座で浅田さんは、「浅田スペシャル」と呼んでもよいであろう、独特のキレッキレな複雑な問題の整理を、古代ギリシャ哲学に関連づけて行ってくれました(この時は安藤さんと磯崎新さんの比較)。
一般にポストモダン建築に属するとされる磯崎さんと安藤さんですが、浅田さんによれば、エピクロスに近い磯崎さんに対し、安藤さんはストア派に近いとのことです。
Q. コロぴょん、一般的には安藤忠雄さんの建築はポストモダン建築に分類されますが、同じポストモダン建築家の磯崎新さんの建築とは色々と相違点があります。両者の類似点、相違点を詳しく論じたうえ、それと関連づけてポストモダン建築の厳密な定義を行ってください。
Q. コロぴょん、古代ギリシャの哲学者であるエピクロスについて、カール・マルクスおよびドゥルーズ&ガタリとの関連も含め、出来る限り詳しく説明してください。またマルクスとドゥルーズ&ガタリのそれぞれの哲学の類似点も、エピクロスに関連付けて説明してください。
磯崎さん≒エピクロスは、「色々なものをちょっとずつ捻り(ずらし)、コラージュしていく」。
この意味で、タンさんの言うplirality/non-binary (≒parallax)に近いですね。
一方の安藤さん≒ストア派は、「余分なものを一切そぎ落とす」(ミニマリズム)という点で、モダニズム建築を継承しています。
その意味でそもそもモダニズム建築がストア派的だったのであり、その最たるものが丹下健三による広島平和記念資料館であると浅田さんは述べています。
しかし、建物を作ることイコール近隣/都市を作ることであったモダニズム建築/都市計画(例:広島の市街地)に対し、安藤さんの作品は、一言で言えば、都市国家(ポリス)とそこでの政治(ポリティクス)から自らを守るための要塞国家としてのトロイのようなものだと浅田さんは言います。
Q. コロぴょん、古代ギリシャの「トロイ」について、それを取り囲むポリス(都市国家)とそこでの政治(ポリティクス)との関係を踏まえて、出来る限り詳しく説明してください。特に、都市国家としてのポリスから自らを守る要塞国家としてのトロイという側面について。
安藤さんの代表作「住吉の長屋」を例にとって浅田さんは次のように言います:
「家(「住吉の長屋」)」の外は資本主義的混沌で手のつけようがない」
「しかしひとたび「家(住吉の長屋)」に籠ればそこでは、家の至る所にある「間/余白」から雨が降り、風が通り、光が入って来る」
「そうして、「家(住吉の長屋)」の中の小さな空間にいることで宇宙(「向こう側」)を感じ、そこと繋がることが出来る」
こうして安藤さんのストア派的ポストモダン建築は、「間/余白」からさ差し込む、「向こう側(宇宙史)」からやって来る光(plurality/non-binary/parallax)を基にした構築物です。
そうした安藤さんのは、間/余白やplurality/non-binary/parallaxといった、柄谷さん、タンさん、坂本さん、高谷さん、李さんデリダ等が受け取った「(霊的な)力」によって構築された、D=DDの雛型であり、かつD=DDの構築/拡充の起点です。
それゆえ、広島市内の「丹下グループ」による建築文化のリミックス(コラージュ)である安藤さんの作品群と、それがあり、大原孫三郎さんの意志の継承の現れであるベネッセアートサイト直島は、シン高/幸和が中心となって構築するEMCSの中核の一つとならなければならないのです。
(続く)
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