eSOM (イゾーム)
Dへの道、あるいはシン高と幸和の物語
2025.05.27
eSOM: Dへの道(22)オードリー・タンの『Good Enough Ancestor』を観ながら、シン高を構築する(Part 1)
1.
まず始めに確認しておきましょう。
シン高/幸和の究極目標は、オードリー・タンとE・グレン・ワイル(E. Glen Weyl)の共著『Plurality』をもとに、東地中海文化圏(EMCS)を、「交換様式Dに基づく社会(「D」) =デジタル民主主義 (DD)」として(再)構築することです。
シン高/幸和はこの目標を、その達成に貢献する人間を育むことで達成していきます。
私にそう決断させたきっかけが二つあります:
① 5月10日(月)に東京でタンさんに本人と会ったこと
② 19日(火)に彼女の自伝的短編映画『Good Enough Ancestor』を観たこと
どちらも、彼女とのただらなる縁を感じさせてくれました。
彼女の著作を基に、彼女とともに、D=DDを構築することを決意するのに十分なほどに。
それだけではありません。
『Good Enough Ancestor』に描かれているタンさんが辿った道のりは、シン高/幸和がこれから辿っていこうとしている道のり(Dへの道)と重なる部分が多々あります。
また、シン高/幸和の共育活動をプログラムしていくうえで、示唆される点も少なくありません。
『Good Enough Ancestor』を紹介してくと同時に、それに注釈・校訂を施すという形で、これから行っていく共育活動についてお話してゆきましょう。
2.
タンは生まれつき、心臓に疾患を抱えていました。
身体が手術に耐えれるようになる12歳まで、翌朝目覚めれる確立は半々と思いながら床についていたと彼女は言います:
「One of my first memories is of my heart beating quickly and then fainting. It all turns into black.I was born with a heart defect. If my heartbeat increases above a certain level, I have a 50/50 chance of surviving. I could die. I remember going to sleep just thinking, okay, it’s like a coin flip. If it comes up tails, then maybe I don’t wake up the next day. (私の最初の記憶の一つは、心臓が速く脈打ち、そして気を失うことです。すべてが真っ暗になる。私は心臓に欠陥を持って生まれました。心拍があるレベルを超えて上昇すると、生き残れる確率は五分五分です。死ぬ可能性がありました。眠りにつくとき、「よし、これはコイン投げのようなものだ。裏が出たら、明日は目を覚まさないかもしれない」と、ただそれだけを考えていたのを覚えています。)」(オードリー・タンの自伝的短編映画『Good Enough Ancester』より)
(注:以後、「」内は全て『Good Enough Ancester』からの引用)
子どもの頃のタンさんを苦しめたのは病気だけではありません。
小学校や中学校で酷いいじめにあっていました。
法学を学んだ政治記者であったタンさんのお母さまは当時を振り返り、学校における画一的な一斉教育と、それと共謀する保護者の競争意識がいじめの根本原因だと言います。
教育哲学および政策史を専門とする思想史家でもある私は、そうした台湾の教育が、大日本帝国時代に日本が施行した教育政策に由来し、それは現代に至るまで脈脈と受け継がれてきたことを知ります。
特に日本では、戦後の日米関係という歴史的理由により。
そのことについて、また別の機会に。
3.
兎にも角にも、暴力が日常と化した日々の生活の中で、自分の身体と同じように、社会にも病気があることを知ります。
映画の冒頭でタンさんは、台湾と自分の身体を重ね合わせます:
「Taiwan is, by many accounts, the most democratic place in all of Asia. But yet, we’re acutely aware that if tension arise, if tensions escalate, we can lose our democracy just with a couple of missiles. This awareness that everything can be reset tomorrow, and the strength and resilience coexist in Taiwanese democracy. And this is something that I also feel in my own body. (多くの見方において、台湾はアジアで最も民主的な場所です。しかし、私たちは、もし緊張が高まれば、ミサイル数発で民主主義を失う可能性があることを痛感しています。明日にはすべてがリセットされうるというこの認識と、台湾の民主主義に共存する強さと回復力。これは私自身の身体でも感じていることです。)」
このように、身体と地球の間に、構造上の類似性を見るのは、「越智さんの宇宙史」を生きるシン高/幸和メンバーと一緒です。
(この点に関して、『Dへの道、あるいは幸和物語(8):「星の子、宇宙の子」としての私、私の「この身体」の一部としての地球』参照)
タンさんにとっては、身体にとっての健康は、社会にとっての民主主義と共通するようです。
そして、社会にとっての「健康(=民主主義=ウェルビーイング)」は、平和が必要条件であることを、タンさんと台湾は私たちに想起させてくれます。
この点は、「交換様式Dを基にする社会(D)=デジタル・デモクラシー(DD)=ウェルビーイングな社会」の構築を究極目標とするシン高/幸和にとって、最も大切なことです。
4.
タンさんは、一見全く違うものと見做されるもののうちに、似ているもの、共通するものを見出すことを、数学から学んだと語っています:
「I’ve always loved mathematics. The ability to see similarities in very different systems(私は子供の頃から数学が大好きでした。数学という、全く違うシステムのうちに似ているものを見出す能力に)」(オードリー・タンの自伝的短編映画『Good Enough Ancester』より)
まさに同じ理由からシン高/幸和は、数学を最重要視します。
幼いタンさんの知的好奇心は、数学に限られたものではありませんでした。
その点についてタンさん御本人は次のように語っています:
「As a child, I was very curious. I bombarded my parents, aunts and uncle, grandparents with questions. What are ozones? How can we know It’s growing thinner if we cannot see it? What are solar flares? What happens to Earth when the sun dies out? Are there particles faster than light?(子どもの頃の私は、本当に知りたがり屋でした。両親、叔父や叔母、祖父母に、質問攻めにしたものです。「オゾンって何?」「見えないのに、どうして薄くなっているってわかるの?」「太陽フレアって何が起きるの?」「太陽が死んだら、地球はどうなっちゃうの?」「光より速い粒子ってあるの?」そんな質問ばかりしていましたね。)」(オードリー・タンの自伝的短編映画『Good Enough Ancester』より)
タンさんが類まれな頭脳の持ち主であることを早い段階で把握したご両親は、それを自然培養する環境を整えます:
「We realized Audrey was very smart. Audrey started reading books at at young age. I intentionally bought many books on natural sciences and mathematics and placed them on the shelf, which Audrey read, even though I hadn’t. (私たちも、オードリーがとても聡明な子だと気づいていました。幼い頃から、本当にたくさんの本を読んでいましたね。意図的に自然科学や数学の本をたくさん買ってきては、私がまだ読んでいないものまで、本棚に並べておいたんです。すると、オードリーはそれらを次々と読みこなしていきました。)」
タンさんが卓越した能力の持ち主であることに、疑いの余地はありません。
けれども、大学教授を辞め、幼稚園の園長を数年務めることで私は、全ての子どもが卓越した能力・資質を持って生まれてきていることを再認識しました(タンさんほどかどうかはともかく)。
そして、タンさんのお母さまの言葉を借りれば、大方の学校と、そこで教育を受けた保護者の共謀が、依然として、万人が幼い頃に持つ能力・資質を抑圧するための、国家および資本の「イデオロギー装置」として機能していることも、30年ぶりに日本に帰国し、教育の現場に入ることで実感出来たことでした。(「国家のイデオロギー装置」については『eSOM: Dへの道』(11)を参照のこと)
そうした中、シン高/幸和は、一言で言えば、タンさんのお母さまのような存在になろうとしています。
つまりシン高/幸和は、タンさんのお母さまがそうしたように、「(国家/資本の)イデオロギー装置」としての学校(幼稚園~高校)から逃走(浅田彰さん的な意味で)し、子どもが持って生まれた貴重な能力・資質を、フローというエネルギーを糧に純粋培養出来るシェルターとなることを目指します。(注:そうしたことから、浅田さんの『逃走論』を読むことをお薦めします。)
タンさんのお母さま曰く:
「I was really scared that Audrey would die by suicide. I told Audrey, you are very young. You are too young to understand how much power you will have to change the world. Let’s do homeschooling. We can learn by ourselves. I realized I must bring Audrey back in and push the world out.(私は、オードリーが自殺してしまうのではないかと本当に恐れました。オードリーに言ったんです。「あなたはまだとても若い。世界を変える力がどれほどあるか、理解するには若すぎるわ。ホームスクールにしましょう。自分たちで学ぶことができるから」って。オードリーを世間から引き戻し、世界を押し出す必要性を悟った瞬間でした。)」
実は、シン高/幸和の幼児共育部門の最高責任者は、タンさんのお母さまと同様の考えのもと、お子様が小学校三年生の時に、ホームスクーリングを始めるどころか、NPO法人としてフリースクールを設立してしまった方です。
そうした幼児共育部門を持つシン高/幸和は、タンさんから学びながら、タンさんと共に、まずはEMCSとして、生徒とファシリテーターが一丸となってD=DDを構築し始めます。
(続く)