eSOM (イゾーム)
Dへの道、あるいはシン高と幸和の物語
2025.05.19
eSOM:Dへの道(20) シン高、さらなる飛躍の起点(1)~開校記念フェスwith HIPPY 完全再現
1.
5月16日(金)、シン高開校記念フェスが開催されました。
このフェスが、シン高の飛躍の起点となるでしょう。
もう一つの起点となるのが、5月10日(土)に京都で浅田彰さんと冨山一郎さん、そして12日(月)に東京でオードリー・タンさんのお話を聞いたことをきっかけとして浮かんだ、シン高が中心となって、「D=デジタル民主主義」としての東地中海文化圏を構築するというアイデアです。
元々、現在のHPに書いてあるように、瀬戸内地域を「世界で最もウェルビーイング度の高い地域」として構築するという目標とともに、シン高は出発しました。
その構築のために様々なことを学ぶという形で、シン高卒業後の人生に必要なことを学ぶという構築主義は、始めからシン高の共育理念としてあったわけです。
そして現在のHPを作成してから1年余り。
この間の沢山の新たな出会いや、長年の「僕の好きな先生」との再会のおかげでシン高は、「D」の構築という目標に向けて、Giant Stepsを踏んだわけです。
Giant Steps by John Coltrane(1960)
2.
いかなる意味で、今回のフェスと東地中海文化圏が、シン高のさらなる飛躍の起点となるのでしょうか?
まずファスの話から始めましょう。
フェスは、広島市の被爆伝承者養成研修事業の「先輩」と「後輩」であるシンガソングライターのHIPPYさんと私の対話を交えながら、HIPPYさんに作っていただいたシン高の校歌「サクハナ」を含むHIPPYさんの曲全7曲を、御自身に歌っていただくというコンサート形式で開催されました。
私が書いた台本をもとに、当日の模様をダイジェストでお伝えしようと思います:
まず冒頭いきなり大ヒット曲「君に捧げる応援歌」。
遠藤:
みなさん、私、本日のシンギュラリティ高等学校開校記念フェスのMCを務めさせていただきます遠藤克彦です。どうぞよろしくお願いします。
今日は前半は、私からHIPPYさんへのインタビューという形で、これからシン高で高校生活を送るみなさんにとって、「とってもためになる話」をHIPPYさんにお話いただきます(笑)。
そして後半は、その「とってもためになる話」と密接に関わる曲を計6曲、ミニ・コンサートという形で歌っていただきます。
というわけで、HIPPYさん、一曲目で歌っていただいた「君に捧げる応援歌」は、今や時代を代表する応援歌になっています。
御自身も、甲子園を目指す高校球児だったとのことですが、実は聞くところによると、野球をやりたいがために、音楽をはじめざるを得なかったそうですね。
そこのところを詳しくお話いただけますか?
HIPPY:
(エレクトーンの講師でいらっしゃったお母さまが、ピアノのレッスンを受ける条件で野球をやらせてくれたという話を交えて、野球少年だった幼少期の話)
遠藤:
そうして複数の高校から勧誘の受けるほどの球児として甲子園を目指されていたわけですが、故障が原因で野球を断念せざるを得ず、失意のもと、全国的に名高い崇徳高校男性合唱団グリークラブに入団され、ボーカリストとの道を歩み始めるわけですよね。
そのあたりのことを中心に、高校時代のことをシン高生のみんなに語っていただけますか?
(動画)複数の高校から野球特待生として勧誘を受けていたことを語るHIPPYさん
3.
遠藤:
そして高校卒業後の1999年、大学生の時にmaegashiraというバンドを結成し、2011年に解散。
その直後からソロとして活動を始め、メジャーデビューが2015年。
そして2017年に発表された2nd アルバム『HomeBase~ありがとう~』に収録されている「君に捧げる応援歌」が、「めちゃめちゃ不思議」な形で注目を集め、ようやくミュージシャンとしての活動が軌道に乗り出す。
そしていよいよ来月14日(土)、広島サンプラザアリーナホールで、自身初のアリーナコンサート(直近ではサザンオールスターズが公演):
このように、プロとしてアーティスト活動を始めてから「アリーナアーティスト」になるまで、ちょうど、四半世紀の月日が流れています。
この間のことについて3つ質問させてください:
①「君に捧げる応援歌」が「めちゃめちゃ不思議」な形で注目を集めたという点について
② なかなか思うようにいかなかった20年近く、ミュージシャンを続けれた最大の理由はなんだと思いますか?
③ この20年近くを経て、この6月には初のアリーナ公演を開催するに至った過程で、御自身と、ここにいるシン高生の両方に向けて、「これが人生の指針だ、これを信じて生きろ」と自信を持って言えることを一つだけ、出来る限り具体的に語ってください。
HIPPY:
(注:前節の高校時代に関する質問も含め、これらの質問に対するステージ上のHIPPYさんの回答と重なる部分を含む、以下のインタビュー記事をご参照ください)
(動画)なかなか思うようにいかない時期、なぜ続けられたかを語るHIPPYさん
(動画)コロナ禍思いもよらぬ形で、発売から4、5年越しで「君に捧げる応援歌」が大ヒットしたことを語るHIPPYさん
4.
遠藤:
というわけで、ここから第二部に入ります。
第二部は、HIPPYさんと私を繋げた被爆伝承の話、それと密接に関わるシン高校歌「サクハナ」の誕生秘話、そして校歌の元となったHIPPYさんの6つの曲からなるミニ・コンサートです。
丁度ソロになった翌年の2012年にHIPPYさんは、富江洋次郎さんが2006年から御自身が経営していた市内のバー「スワロウテイル」で、毎月6日に開催していた「原爆の語り部 被爆体験者の証言の会」(以後、「語り部の会」)に参加し始めます。
(ここで富江さんの生前の写真をステージ奥のスクリーンに投影)
そして、「君に捧げる応援歌」が収録されている2ndアルバム『HomeBase ~ありがとう~』がリリースされたのと同じ2017年、富江さんが肺がんで亡くなられた直後から「語り部の会」を引き継ぎます。
コロナで対面開催が出来なかった間も、毎月6日には必ずYouTubeで配信し続け、その動画は人類の貴重な財産であると私は確信しています:
そうして富江さんの遺言を胸に会を重ねてきた「語り部の会」も2025年5月6日で230回を数えるまでになりました。
ミュージシャンとして全国を飛び回る中、この驚異的な数を数えるまで続けてこられた「語り部の会」のこと、そしてそれを「ほしになっ」て見守り続ける富江さんのことを語っていただけますか?
HIPPY:
(この質問に対するステージ上のHIPPYさんの回答と重なる部分を含む以下のインタビュー記事をご参照ください)
上記の富江さんのニュース動画で、死期が迫る富江さんが執筆されていた本:
『カウンターの向こうの8月6日 広島 バースワロウテイル「語り部の会」の4000日』
5.
遠藤:
HIPPYさんは、富江さんから「語り部の会」を引き継がれる1年前の2016年から、広島市主催の「被爆体験伝承者養成事業」に参加され、伝承候補生になられます:
実は私も、2022年に広島に越して来た直後に伝承候補生になりました。
2024年7月26日、上野学園ホールでのコンサートの際、初めて楽屋でHIPPYさんにお会いし、そのことを伝えるとHIPPYさんは、「じゃあ、僕の後輩ですね」と言ってくださいました。
(HIPPYさんと私の初めての出会いのくだりは、この『eSOM: Dへの道』の前身『Xへの道』の以下の回をご参照下さい)
Xへの道(2):HIPPYと被爆伝承
Xへの道(3):天才詩人HIPPY
この「伝承者養成事業」で出会った被爆体験者の一人、岡田恵美子さんの一言が、その後の被爆伝承者であり、かつ、シンガーソングライターとしてのHIPPYさんの活動に大きな影響を与えることになったそうですね。
岡田さんとの出会い、そして岡田さんから学んだことについて教えてください。
HIPPY:
(上記の質問に対するHIPPYさんの回答は、以下の記事および『Xへの道』(3)からの引用(赤太字)をご参照ください)
「僕が教わっている講師の岡田恵美子さんは被爆者であり伝承者でもある方で、岡田さんから「一人ひとりが得意分野で発信をしてほしい」という思いを聞いて、僕ができることは歌で伝えることだなと使命感を持って臨んでいます。」
遠藤:
「サクハナ」の初めての打ち合わせで、HIPPYさんからこのこと(赤太字部分)をお聞きした私は、HIPPYさんと同じように、伝承候補生が通常辿る道を辿らず、共育と執筆という「自分らしいやり方」で、被爆者の方々の体験を語り継いでいこうと心に決めました(注:通常、研修を終えて市公認の伝承者となった場合は、市の検閲を通った原稿を資料館の来館者に講話する)。
そして、HIPPYさんが歌で最も伝えたいことの一つが、「僕たちはあの日から続いている「今日」に生きている」ということなのだと思います。
こうした富江さん、岡田さんの思いを歌にし、お二人がHIPPYさんと共に作詞家として名を連ねる「日々のハーモニー」、そしてその続編とも言える被爆80周年テーマソング「ほしになった町」を、岡田さんがお孫さんと一緒に登場する「日々のハーモニー」をモチーフにした映像作品「あの日から続く”今” ~被爆75年 この街並にありがとう~」をバックにHIPPYさんに歌っていただきましょう:
「日々のハーモニー」by 富江洋次郎×岡田恵美子×HIPPY
「ほしになった町」by HIPPY(RCC被爆80年テーマソング)
6.
5月6日、初めて「語り部の会」に参加させていただきました。
そこで、その日の語り部である内藤達郎さんのお話を聞き、ある考えが閃きました。
私は、シン高入学式の校長からのお祝いの挨拶をはじめ色々な場面で、HIPPYさんは忌野清志郎さんや桜井和寿さんとならぶ「天才詩人」だと言ってきました:
「Dへの道、あるいは幸和物語(1):シンギュラリティ高等学校入学式、校長からのお祝いの言葉」
キヨシローと桜井さんの書く歌詞同様、一見変哲もなく聞こえる歌詞の中に時折、そう思わせる言葉が散りばめられているのです。
そしてこの日、内藤さんの話を聞き、HIPPYさんの書く詩の「凄み」の源泉の一つが、今回で230回を数える「語り部の会」で被爆者の方々の言葉であると確信しました。
私がそう直観するきっかけとなったのは、内藤さんがお話してくださった2つのことでした。
一つは、内藤さんが中学三年生の時に作られた、「遥かなる空の彼方に隠棲(すむ)母の面影追って今日も登りぬ」という、亡くなったお母様への思いを歌った短歌:
この短歌に歌われているような、原爆で亡くなったご家族の方々への、被爆生存者の方々の思いと、シン高校歌「サクハナ」の元となる3曲のうちの1曲である「かあさんへ」が表裏をなしていると直観しました。
HIPPYさんが書く詩の「凄み」の源泉に、被爆伝承があると直観させてくれた内藤さんのもう一つの話というのは、その後の内藤さんの人生を決定づけたという、中学三年生のときに担任の先生が内藤さんに投げかけた恩師・安部田正幸さんからの、「もし今変わらなかったら、自分は将来、何を失うだろうか」という問いかけです:
これを聞いた時私は、是非、シン高生のみんなにもこの言葉を伝えたいと思いました。
そして「サクハナ」の元となる3曲のうちの二曲目「きっと神様は進めというだろう」は、この先生からの問いの答えを探し求め、見つけた道をゆく内藤さんを歌った曲として聴くことが出来ると考えたのです。
7.
実はですね、今日、内藤さん御本人にいらっしゃっていただいているんですね。
そこで、今お話ししたことの背景にある、3歳9か月の時にシン高がある向洋で被爆し、その後、青崎小学校1年生の時に福岡県飯館市に引っ越し、中学生の時に恩師・安部田正幸さんと出会うまでのお話を、内藤さん御本人に語っていただこうと思います(以下の赤太字部分)。
内藤さん御本人による被爆体験伝承講話
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向洋での被爆(スライド1:黄金山)
内藤さんが3歳9か月の時、シン高のある向洋で被爆した際に、黄金山の向こうに見えていたであろう市内のイメージ画像:
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被爆から3年後に亡くなられたお母様のこと(スライド2:お母様の短歌)
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被爆後のお母様の状態
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小学一年生の時の遠足とお母様との別れ
内藤さんが中学三年生の時に書いた、小学一年生の時に亡くなったお母様への想いを綴った短歌「遥かなる空の彼方に隠棲(すむ)母の面影追って今日も登りぬ」
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向洋から飯塚へ
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麻生財閥が所有する炭鉱で炭鉱夫をなさっていたお父様のこと、炭鉱のこと
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貧困と差別
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廃品回収
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「山の子」
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人生を変えた中学時代の恩師・安部田正幸さんとの出会い
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「スライド3:新聞の切り抜き」とともに「あべた」先生のことを話始める
内藤さんの中学生時代の恩師である安部田正幸さんが、卒業から40年以上経って新聞に送った内藤さんに関する投書
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「スライド4:恩師の「問い」」が映し出されて、その「問い」について話始める
内藤さんが中学を卒業する間際、恩師である安部田正幸さんが内藤さんに投げかけた、その後の内藤さんの人生を決定づけた言葉
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「スライド5:先生、本、短歌との出会い」が映し出されたら、卒業後、恩師が住み込み先についてきてくれたこと、短歌をNHKラジオに送ってくれたこと
恩師・安部田正幸さんとの出会いをもとにした、内藤さんからシン高生への「贈る言葉」
遠藤:
内藤さん、ありがとうございました。
そここでここでHIPPYさんに、内藤さんの短歌をバックに「かあさんへ」を、そして、恩師・安部田正幸さんの「問い」をバックに「きっと神様は進めというだろう」を歌っていただきます。
HIPPY:
「かあさんへ」
(動画)特別ゲストとして、被爆伝承講話を行ってくださった内藤達郎さんが中学3年生(1960年)の時に、亡きお母様への想いをうたった短歌をバックに「かあさんへ」を熱唱するHIPPYさん
「きっと神様は進めと言うだろう」
(写真)フェス中、被爆伝承講話を行ってくださった内藤達郎さんの人生を変えた恩師の言葉と、「きっと神様は進めと言うだろう」を歌うHIPPYさん
(動画)被爆体験者・内藤達郎さんの人生を変えた、内藤さんの中学の恩師・安部田正幸さんからの言葉を背に「きっと神様は進めと言うだろう」を熱唱するHIPPYさん
8.
遠藤:
さて、残すところ最後の二曲になりました。
一曲は、「サクハナ」の元となった3曲のうちの残りの一曲である「きんさいや」。
そして最後は勿論、シン高の校歌である「サクハナ」。
HIPPYさんは、常々、「富恵さん、そして語り部の会のおかげで、原爆が落ちた瞬間から今が繋がっていると心底思えるようになった」とおっしゃってこられました。
私にとってそのことを最も強く感じさせてくれるのが「きんさいや」でした。
そして、「きんさいや」を含め、今日歌っていただいた「全ての曲の要素を全部詰め込んだ曲を校歌として作ってください」という私からの無茶ぶりに、見事応えていただいただいて出来たのが「サクハナ」です。
ここからはHIPPYさん御本人に、この二つの曲に込めた想いを語っていただいた上で、会場のみなさんと一緒に歌っていただければと思います。
それではHIPPYさんお願いします。
HIPPY:
「きんさいや」(シン高の映像を担当してくださっている株式会社「弥(あまね)」の安藤大弥(ひろや)さんが手掛けた、開校記念フェス用の歌詞付きスペシャルMV)
「サクハナ」(シン高校歌::開校記念フェス用の歌詞付きスペシャルMV)
(写真)フェス終了後、HIPPYさん、そしてHIPPYさんのミニ・コンサートの一部として被爆伝承講話を行ってくださった内藤達郎さんとステージ上で記念写真
(続く)