eSOM (イゾーム)
Dへの道、あるいはシン高と幸和の物語
2025.05.09
Dへの道、あるいはシン高物語 (10):巨星・中上健次、そして「ジギー・スターダスト」としての私たち
1.
シン高と、坂本さんおよび高谷さんの芸術との繋がりは、私たちをついに、中上健次さんへと導きます。
中上健次さんについて、詳しくはこちら:
中上さんは、「幸和」の名誉学園長である柄谷さんおよび坂本さんの盟友です。
特に中上さんと柄谷さんの関係は、後に論じるように、シン高設立に決定的に重要な役割を演じています。
中上さんと柄谷さんについてはこちら:
中上さんの文学と、坂本&高谷さんの芸術の強固な繋がりを再確認したのは、NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)での「坂本龍一トリビュート展」(2023.12.16 – 2024.3.10)、同時期に京都で開催されていた「Ambient Kyoto 2023」(2023.10.6 – 12.31)における坂本さんと高谷さんの作品「async – immersion 2023」、そして高谷さんの『Tangent(タンジェント)』によるものでした。
「坂本龍一トリビュート展」についてはこちら:
「Ambient Kyoto 2023」についてはこちら:
「async – immersion 2023」についてはこちら:
そこで観た坂本&高谷さんのアートと、中上さんの文学がどのように繋がるかは「『タンジェント』ノート」に詳しく記録してあります。
長くなりますが、シン高および「幸和」全体のカリキュラムにおいて最も大切なことなので、ここに全文掲載します(黒太字;文中の「我々の学校(eSOM)」というのは、シン高および「幸和」のことです):
①
(2024年)2月16ー17日(金ー土)
『タンジェント』ノート(9)
今日(16日、金曜)で『タンジェント』初日からちょうど一週間経ちます。
つまりこの一週間、公演を四回全部観た以外は、ほぼ延々とこのノートを書いていたわけです(昨日も書いていました)。
けどそのおかげで、ずっと書きたくても時間がなくて書けなかった、12月の「坂本龍一トリビュート展」と「Ambient Kyoto async – immersion 2023」について記録しておきたかったことを、『タンジェント』に関係づけて説くという、理想的な形で書くことが出来ました。
まずは、前回の解説(8)で、「モノリス」とペン(先)の接点、そしてそれらが接する時の火花について書いている時に得た発想について。
その発想とは、「モノとモノが接して何かが生まれるって、タンジェント(モノとモノの接点)って要は「交換」のことだよな」ということでした。
交換。
つまり、柄谷哲学の中心概念。
ちなみに、モノとモノの摩擦によって生じる火は、交換様式Dから生まれる「霊的な力」の一つであるゾロアスター教(拝火教)の信仰の対象です。
ゾロアスター教(拝火教)についてはこちら:
我々にとって坂本&高谷さんのアートと中上さんの文学は、柄谷哲学の芸術的表現という位置づけです。
それは、坂本&高谷さんのアートと中上さんの文学を通して柄谷哲学を教え、交換様式Dの担い手を育成することが出来るということです。
しかし、坂本&高谷さんとアートと中上さんの文学を正当に評価するためには、下手したら柄谷哲学に対しそうするのと同等、あるいはそれ以上の訓練が必要となります。
勿論、我々にとって彼らのアートと文学は、教育内容の本質そのものなわけですから、どの教科を教えるかに関わらず、まず教える側がそれを正当に評価する能力・資質を培わなければなりません。
ただ、これから中学に進学しようとする14,15歳の人間にいきなりそれを求めるわけにはいきません。
僕自身、56歳になってようやく分かりかけてきたわけですから。
14,15歳で分かる人間もいるのでしょうが、我々の学校(eSOM)では、学生みんなが高校を卒業する頃には、上手く説明出来なくとも、その良さ、大切さを感じれる人間になれる教育を行っていきたいと思います。
その上で大切となるのがエンタメ(ゲーム、漫画、アニメ、映画)です。
柄谷哲学、高谷&坂本さんのアート、そして中上文学の「入り口」としてのエンタメ(ゲーム、漫画、アニメ、映画)。
一方で柄谷哲学、高谷&坂本さんのアート、そして中上文学、他方でエンタメ(ゲーム、漫画、アニメ、映画)と、それら両極を持つ教育のみが、意義ある教育を効果的に行えるはずです。
それでは、エンタメを「入り口」として接近する、柄谷哲学(教育の究極目標)の究極表現である、坂本&高谷さんのアートと中上文学のeSOMにおける位置づけを、『タンジェント』の総括という形で行いましょう。
②
12月から先週にかけて、坂本&高谷アート一色の年越し・年始めでした。
口火を切ったのはICCでの「坂本龍一トリビュート展」でした。
そこに展示されていた作品のうちで、eSOMにとって特に大事なのは、この解説でも触れた次の三つの作品でした:
《Piano 20110311》 [2018/23]
《センシング・ストリームズ 2023-不可視,不可聴》(ICC ヴァージョン) [2023]
《After the Echo》 [2017]
≪After the Echo≫を観たのは2023年12月17日(日)。
「トリビュート展」二日目でした。
すでにこの解説の何回目かで書きましたが、その映像の中の自然を観て即座に思い浮かんだのが、2012年8月5日(日)、中上健次没後20周年記念シンポジウムが開催された熊野山中の新緑の山々の風景でした。
そうして「森」をきっかけに、高谷&坂本アートと中上文学の絆を強く感じた僕は、広島へ向かう新幹線の中でオーディブルで中上さんの『鳳仙花』を聴き始めました。
久々に読む(聴く)それは、中上文学と、柄谷さんの世界史の哲学、つまりは坂本&高谷さんのアートとの強い絆をいきなり感じさせるものでした。
それはまた、『力と交換様式』において柄谷さんが言うところの、交換様式Dに固有の「霊的な力」とは何かをはっきりと教えてくれました。
ここでもう一度我々eSOMの教育目標を振り返ってみましょう。
それは、「柄谷哲学における交換様式Dの担い手を、坂本&高谷アートを中心とする教育を通して育成する」です。
12月17日に東京から広島へと向かう新幹線の中で、坂本&高谷アートに、柄谷さんの無二の親友であり、坂本さんの盟友である中上さんの芸術が、我々の教育のもう一つの柱であることが明らかになったわけです。
12月末に二度、「Ambient Kyoto」で『async – immersion 2023』を鑑賞した時も、また今回、『タンジェント』で使われていた『async – immersion 2023』からの映像(森・木々が横線になり、またそれが森・木々になるという反復を繰り返す)を観た時も、即座に《After the Echo》、中上さん、そして2012年に訪れた熊野のことを想起しました。
なぜ27日と29日に二度『async – immersion 2023』を観に行ったかと言えば、28日早朝、2005年に坂本さんと高谷さんがライブを行っている法然院に行った時、そこが、京都新聞地下で開催された『async – immersion 2023』と、そこで聴いた音楽と重なり合ったため、「もう一度行かねば」と思い再度訪れたことはすでに述べた通り。
僕は2008年以降、何年にも渡って夏の間、京都に滞在し、毎朝夕、愛犬コロと一緒に親鸞の岡崎別院から法然院まで、親鸞がそうした如く通っていました。
岡崎別院についてはこちら:
親鸞と法然の関係についてはこちら:
親鸞は法然に教えを乞うために、岡崎別院から法然院まで100日通ってますが、僕とコロもそのぐらい同じ道のりを歩いたはずです。
そして親鸞の浄土真宗が、中上さんの作品と彼本人にとってとても大事であることは、「トリビュート展」からの帰りの新幹線で『鳳仙花』を聴きながら再確認させられました。
③
と、ここで2月17日(土曜)22:40分。
たった今、リドリー・スコットの『オデッセイ』(2015)を観終えたところです。
『タンジェント』のレビューでこの映画の映像について散々語ってましたが、これまで予告だけで本編は観たことがなかったんです(笑)
素晴らしい!
の一言につきます。
最近、人間機械論のことを書いた前後に、同じ監督の『ブレードランナー(1982年)のオリジナルのほうを観て、やっと当時、坂本さんや浅田さんがこの映画を絶賛していたのか理解出来たところです。
そして『オデッセイ』。
何が素晴らしいかって、まず、これほど地球以外の惑星や宇宙を身近に感じさせてくれる映画はない(笑)
なにせ「火星版・ロビンソン・クルーソー物語」ですから。
他の「宇宙もの」ってどうしても「あちらの世界」感が強いですからね。
またこの映画は、科学の素晴らしさ、偉大さを再認識させてくれました。
絶体絶命のピンチの主人公を救うのは、植物学者である主人公の科学の知識です。
また彼を火星から救出するのも科学、そして数学の凄さです。
こうなるともう、この解説をさっさと書き上げて、この週末の間にクリストファー・ノーランの『インターステラー』をもう一度観なければなりません。
『インターステラー』ほど、物理学、そして数学の偉大さを直に感じさせてくれる映画はありませんからね。
そして、そうした映画その他を使いながら、学生にそうした学問の素晴らしさを伝えれるカリキュラムを僕が中心になって考案します。
AIを中心とした最先端科学・テクノロジーを専門とするライターになりながら。
つまり僕が学生募集のために書く小説は、『続・海神』であると同時に、森敦の『意味の変容』の続編『続・意味の変容』ということになるでしょう。
そして極めつけは、映画のクライマックスで流れるデビッド・ボウイの「スターマン」。
久々に聴くこの曲のウィキページを読んで驚きました。
まず、この曲についてボウイがインタビューで言っていることは、私が縄文社会と並んで、代表的な「A」と見做すホピ族に伝わる伝説と酷似していました。
さらには、僕がここまで『タンジェント』について語ってきたことを踏まえると、この高谷さんの作品の世界観が、坂本さんと切っても切れない縁のあるボウイによる「スターマン」の世界観と重なり合うと考えることは、十分可能だと思われます。
「スターマン」についてはこちら:
アルバム『ジギー・スターダスト』についてはこちら:
「5年後に迫る資源枯渇を原因とする人類滅亡の危機に、救世主として異星より来たバイセクシャルのロックスター「ジギー・スターダスト」の物語からなる」。
この「救世主」が「スターマン」であるボウイであり、その彼と『戦場のメリークリスマス』という物語の中で「禁じられた恋」をした坂本さんの音楽が彩る『タンジェント』の世界が、『続・ジギー・スターダスト』と見做すことは十分可能であると思われます。
eSOMはその立場から、これら最高に「いき」な芸術家たちの作品を教育の柱にしていきます。
こうして、「越智さんの宇宙史」に端を発し、リン・マーギュリス、坂本龍一さんと高谷史郎さんのアート、中上健次さんの文学、を経て、映画(『オデッセイ』、『インターステラー』)と音楽(デヴィッド・ボウイ)を通して再び宇宙に舞い戻りました。
このシン高版「2025年宇宙の旅」が、柄谷哲学を発端として、芸術、文学、エンタメ、科学、数学、等々、全ての人間の叡智の結び付きを明らかにします。
また、「幸和」メンバー全員が目指す「「D」の構築に貢献するバガボンド(探究学友者)」が、「救世主として異星より来たバイセクシャルのロックスター「ジギー・スターダスト」」であり、「Dへの道」がその物語であることが明らかになりました。
これがシン高のカリキュラムの「骨格」の全貌です。
(続く)