シンギュラリティ高等学校 SHINGULARITY HIGH School

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Dへの道、あるいはシン高と幸和の物語

2025.05.09
Dへの道、あるいは幸和物語(9):地学(地球科学)、生物、芸術、映画、そして哲学の交差点としてのシン高

1.
地球は、人間の身体のような、一つの有機体、一つの身体。
そして両方とも宇宙から生まれ、似たような構造を持つ。
だから地球はヒトの身体の延長、つまりはヒトの身体の一部。
それゆえシン高メンバーの各々は、地球を自らの身体の延長、つまりは自らの身体の一部として、自らの身体と地球両方のウェルビーイング(身体的、精神的、社会的健康)の達成を目標とする。
これが前回「Dへの道(8)」の最後でお話したことです。
このように考え行動するうえで大切なのが芸術です。
シン高にとっての芸術の大切さは、書道と井上武彦の漫画(『バガボンド』)を通して周知の通り。
そこに坂本龍一さんの音楽および総合芸術が加わります。
マーギュリスさんの「細胞内共生説(エンドシンビオシス説」が、坂本さんとシン高の「越智さんの宇宙史」(必修科目「科学と人間生活」)を繋ぎます。
幼い頃の私が宇宙に見せられるきっかけとなった『コスモス』の著者であるカール・セーガンさんの元・奥様の説が、「越智さんの宇宙史」を「核」とするシン高の理科(物理、化学、生物、地学)、さらにはSTEM(Science、 Technology, Engineering、 liberal Arts、 Mathmatics)共育全般を繋ぎます。
「ぼくは生物学者のリン・マーギュリスの研究にかなり触発されて、オペラ『LIFE』(1999年)をつくるときも随分参考にしました」(坂本龍一、中沢新一『縄文聖地巡礼』、105頁)
私は、オペラ『LIFE』のNYCでの公演を、坂本さん御本人に招待を受けた柄谷さん(「幸和」の名誉学園長)に連れられ観に行きました(坂本さんは柄谷さんをとても敬愛していらっしゃいました)。
今はなき世界貿易センターでの上演でした。
オペラ『LIFE』はこちら:
NYCでの柄谷さんと坂本さんの交流についてはこちら:
(この中で柄谷さんが言っている、コロンビア大学の授業に参加していた学生の一人が私です)
オペラ『LIFE』は、音楽をモチーフとした20世紀の世界史とみなすことが出来ると私は考えます。
2023年6月のある土曜日、一人で似島を散策していた私は突如、オペラ『LIFE』は「Dへの道」の究極の芸術的表現であるという考えが浮かびました。
そして、シン高の究極目標を「Dの構築に貢献する人間の育成」とし、そのカリキュラムを、「Dへの道」の究極の芸術的表現であるオペラ『LIFE』の「リミックス」(「正義の脱構築」、「Dへの道(5)」参照)として構築しようと思いつきました。
 
2.
オペラ『LIFE』の舞台芸術(特に映像)制作は、アートグループ「ダムタイプ」の中心メンバーである高谷史郎さんが担当していらっしゃいました。
オペラ『LIFE』後、坂本さんと高谷さんは一緒に、私がオペラ『LIFE』の「リミックス」と考える作品を制作しています。
坂本さんの死後、坂本さんの音楽を全面フィーチャーして制作された『Tangent(タンジェント)』(2024年2月9日(金)~12日(月)、ロームシアター京都)はその代表的な作品の一つです:
『Tangent(タンジェント)』についてはこちら:
私は『Tangent(タンジェント)』の京都での計4回の公演全てを鑑賞しました。
毎回の鑑賞中、暗闇のなかひたすらメモをとり、鑑賞後はすぐさまホテルに戻り、メモと記憶をたよりに詳細な記録を取りました。
これを書きながら久しぶりにそれを紐説くと、『Tangent(タンジェント)』が驚くほど「越智さんの宇宙史」と重なり合う面を持っていることに気付きました。
以下の第二幕(全四幕)の記録などは特にそうです(黒太字:文中の「モノリス」というのは、映画『2001年宇宙の旅』に登場する謎の物体のことです):
(2024年)2月14日(水)
『タンジェント』ノート(8)
前回は第二幕冒頭で「モノリス」が登場するところまででした。
9日(金曜)の初演の第二幕冒頭で、この「モノリス」もどきの物体が舞台に現れた時点で、「この作品は、宇宙における地球を含めての「LIFE」の生死の繰り返しを描いている」という、ノート(1)から書いてきた僕の『タンジェント』理解が定まりました。
なにせ『2001年宇宙の旅』の「モノリス」は、前回解説でコピペしたウィキに書いてあるように、無(宇宙)から有(生命)が生まれる際の「入り口」ですからね。
暗闇のなか、舞台上のヒトは、先っぽが発光するペンのようなもので「モノリス」に触れます。
するとその接点から暗闇の中に火花が散ります。
もしかしたら、この火花は、太陽の誕生を描いているのかもしれません。
新たな曲(『12』の中の曲?)が鳴り、ペン(?)が「モノリス」に接するたびに起こる摩擦による金属音が、その坂本さんの音(地球ないし宇宙の音?)に重なり合います。
次第にヒトは、「モノリス」に線を引き出します(勿論、機械により増幅される金属音を出しながら)
すると光の線が、舞台奥の画面に映し出されます。
一見、無造作に引かれた線は互いに交差し、その残像は顕微鏡で見た細胞のような形となっていきます。
「顕微鏡で見た細胞」が最適な表現かどうか今一つ自信がもてませんが、とにかくそれは、ミクロな生命体を想起させます。
火、ミクロな生命体。。。
地球における(つまり宇宙における)生命の誕生を表現しているかのようです。
黒と光の線だった画面は次第に無色になっていき、やがて例の白い壁になります。
あたりは日の出前のマジックアワーとなり、画面には光と影が映し出されます。
優しい白い光に覆われた画面に映し出される影は、梯子や牢獄の鉄格子のような規則正しい形を作ります。
幼稚園の園庭の雲梯やジャングルジムを思い出させます。
舞台の右側からゆっくりと白い煙が出てきます。
大気?
辺りは日没前のマジックアワーに、そして夜に変わっていきます。
こうして地球、生命、文明(形あるモノ)の誕生を感じさせる第二幕が終わります。
舞台上の「ヒト」が何を表現しているかは一先ず置いておくことにしましょう(何を表現していると思いますか?)。
先っぽが発光するペンのようなものが「モノリス」にふれた際に起こる金属音や火花は、核融合とそれによる元素の誕生(合成)を表現しているのかもしれません。
同時に流れる坂本さんのアルバム『12』からの音は、遠くで恒星が誕生と爆発を繰り返す音?
また、「次第にヒトは、「モノリス」に線を引き出し(勿論、機械により増幅される金属音を出しながら)」、「すると光の線が、舞台奥の画面に映し出され」、「一見、無造作に引かれた線は互いに交差し、その残像は顕微鏡で見た細胞のような形となってい」くのは、「ガイア理論」や「細胞内共生説(エンドシンビオシス説)」が唱える、「生命と非生命的な要素が複雑に絡み合い、相互作用することで維持される、動的なシステム」としての「LIFE(地球、人間)」の誕生を表現しているといえるかもしれません。
 
3.
「越智さんの宇宙史」を通して、坂本さんと高谷さんと繋がったことで、シン高のSTEAM(STEM+liberal Arts)共育は、ビッグバン時並みに一挙に爆発します。
まず、坂本さんと中沢新一さんの共著『縄文聖地巡礼』を経由して、シン高は縄文時代と繋がります。
縄文時代の人々の暮らしや文化は、「幸和」が当面目指すべき「A」(柄谷さんの交換様式Aおよびそれが支配的となる社会)であるというのが私の仮説です。
柄谷さんの交換様式論によれば、「D(=「A」の世界化)」は、「B」や「C」に「抑圧されたもの」としての「A」の回帰です。
従って、「D」の雛型となる「A」としての「安浦コモンズ」(『Dへの道(5)』参照)は、高谷さんも登場する『縄文聖地巡礼』を大いに参照しながら、「幸和」メンバー全員で構築してゆかなければなりません。
なぜなら「D」の構築こそが、シン高の、そして「幸和」の究極目標なのだから。
(続く)
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