eSOM (イゾーム)
Dへの道、あるいはシン高と幸和の物語
2025.05.09
『Dへの道、あるいは幸和物語』(7):「越智さんの宇宙史」、そしてBank Bandの「to U」、再び
1.
シン高の「総本山」である安浦キャンパスが位置する安浦は、空海(弘法大師)と深い繋がりを持ちます。
まず安浦には、空海(弘法大師)が修行したと伝えられる野路山の弘法寺があります。
空海は19歳と49歳の頃の2度、この山に登り、岩屋で修行に励んだと伝えられています。
弘法寺は、その修行の地とされ、本尊として弘法大師が祀られています。
25年に一度開帳されるそうです。
また、弘法寺の参道は中国自然歩道の一部となっており、山中の岩屋などには四国八十八ヶ所霊場にちなんだ88の札所が設けられています(伊音城八十八ヶ所)。
これは、空海の足跡を偲び、巡礼できるように整備されたものです。
三本松公園 は、伊音城八十八ヶ所巡りの一番札所となっている公園です。
このように、安浦は空海が実際に訪れ修行したとされる場所であり、その足跡を今に伝える史跡や霊場が残っている、ゆかりの深い土地と言えます。
2.
といったように、15日(水)夜から16日(木)にかけて安浦と空海の関係について書いていました。
そして16日午後、理科の必修科目「科学と人間生活」と「地学」を担当してくださる越智秀二さんとお話をさせていただきました(シン高は「先生」という言葉を一切使用しません)。
比治山女子中学高等学校で長年教鞭を取られ、日本地質学会会員でもいらっしゃる越智さんが提案してくださった、「ヒトは星の子、宇宙の子~かけがえのない生命、138億年の旅~」と銘打たれた「科学と人間生活」の授業内容を知り、私は驚きました。
私が「Dへの道、あるいは幸和物語」という世界史を書くにあたって前提としている「宇宙史」そのものだったからです。
驚いたのはそれだけではありません。
「宇宙史」の冒頭で越智さんはいきなり、その日の午前まで私が書いていた空海のことを語り始めたのです。
もちろん、何の打ち合わせもなしに。
それは空海という名前の由来についてでした。
空海という法名は、青年時代の空海が高知県の室戸岬にある御厨人窟(みくろど)という洞窟で修行をしていた際に、洞窟から見える空と海の雄大な景色に感銘を受けて名付けたと伝えられています。
「空海」という名前には、仏教の深い考え方である「空(くう)」と、広大で深い知恵を象徴する「海(かい)」が合わさっており、「この世のすべてをありのままに受け入れ、深い知恵を持つ者になる」という願いが込められているとも言われています。
「この世のすべてをありのままに受け入れ(る)、深い知恵を持つ者」とはまさに、シン高メンバー全員が目指す、「D」の構築に向けて行動する「探究学習者」としての「バガボンド」以外の何物でもないことは、言うまでもありません。
そして「小説(3)」で説いたように、空海という名の由来でもある密教の概念「空(くう)」は、「バガボンド」による探究学習の「導火線(原動力)」である「フロー」と同義です。
「フロー」を導火線として得る「深い知恵」が、越智さんと共に学ぶ「宇宙史」です。
そしてその先端に位置するのが「Dへの道=世界史」です。
3.
「越智さんの宇宙史」である「ヒトは星の子、宇宙の子~かけがえのない生命、138億年の旅~」の「エピローグ(「科学と人間生活」スクーリング最終回)」は、「Dへの道=世界史」と完全に重なり合います。
「エピローグ」では、地球温暖化、エネルギー問題、核(原子力、各兵器)の問題、そして地震(安芸灘断層帯、南海トラフ巨大地震)といった、人類の一員としての我々シン高メンバーが直面する「地球規模の課題」が論じられます。
そしてそれらの「課題解決」そのものを「フロー」にし、シン高の究極目標である「D」を構築することが、「宇宙の歴史」の摂理であることが説かれます。
「宇宙の歴史」の「プロローグ」と「エピローグ」には、今から40年以上前に「われら高校生」という高校生向けの新聞に掲載された高校生の詩が引用されています。
この作者不詳の詩に越智さんは、「生命(いのち)の賛歌」という名を与えました。
「生命(いのち)の賛歌」には次のような一節があります:
「何かにすべてをかけているとき/よろこびとうれしさのあまり涙があふれ出るとき/そんなときの人間の瞳は輝くものだ」
これは紛れもなく「フロー」の状態です。
「バガボンド/竜馬」が「Dへの道」をゆく時の状態です。
越智さんは、ヒトをこの幸せ(ウェルビーイング)な状態に導くのが「愛情」であるとし、次の一節で「エピローグ」を閉じます(黒太字):
「愛情の反対は無関心」だといいます。
あなたは何に関心を持っていますか?
無関心になっていることは何ですか?
一度立ち止まって考えてみてください。
「宇宙の歴史」の教科書(?)には、この一節の前に、ある写真が掲載されています。
福島第一原発事故後の双葉町の閑散とした通りに掲げられた、「原子力 明るい未来のエネルギー」と書いてある有名な看板の写真です。
私は原発事故から約一年半後の2012年8月後半、双葉町から私の会津の実家の近くに避難していた被災者の知人に連れられ、この写真と同じ風景を実際に目にしました。
その風景と、上の詩の一節に触れ、即座に、私がアメリカの大学を辞し、シン高を構築するきっかけとなったBank Bandの「to U」が、頭の中で流れ出しました(「小説(1)参照」):
“to U” Bank Band
池の水が鏡みたいに空の蒼の色を真似てる
公園に住む水鳥がそれに命を与える
光と影と表と裏
矛盾も無く寄り添ってるよ
私達がこんな風であれたら…
愛 愛 本当の意味は分からないけど
誰かを通して 何かを通して 想いは繋がっていくのでしょう
遠くにいるあなたに 今言えるのはそれだけ
悲しい昨日が 涙の向こうで いつか微笑みに変わったら
人を好きに もっと好きになれるから
頑張らなくてもいいよ
瓦礫の街のきれいな花 健気に咲くその一輪を
「枯らす事なく育てていける」と誰が言い切れる?
それでもこの小さな祈りを 空に向けて放ってみようよ
風船のように 色とりどりの祈り
愛 愛 それは強くて だけど脆くて
また争いが 自然の猛威が 安らげる場所を奪って
眠れずにいるあなたに 言葉などただ虚しく
沈んだ希望が 崩れた夢が いつの日か過去に変わったら
今を好きに もっと好きになれるから
あわてなくてもいいよ
愛 愛 本当の意味は分からない
愛 愛 だけど強くて
雨の匂いも 風の匂いも あの頃とは違ってるけど
この胸に住むあなたは 今でも教えてくれる
悲しい昨日が 涙の向こうで いつか微笑みに変わったら
人を好きに もっと好きになれるから 頑張らなくてもいいよ
今を好きに もっと好きになれるから あわてなくてもいいよ
この「奇跡の曲」とともにシン高および「幸和」は、どんな「争いや 自然の猛威」がやってきても「安らげる場所」となる「安浦コモンズ=「A」」を構築します。
空海に見守られながら。
(続く)