eSOM (イゾーム)
Dへの道、あるいはシン高と幸和の物語
2025.05.09
(小説)Dへの道、あるいは幸和物語(4):「幸和メソッド」の真髄としてのシーモア・パパートの構築主義
1.
(小説)「Xへの道」の連載を、「Dへの道」として再開してからすでに4回目になります。
第二回目で国際バカロレア(IB)、第三回目でレゴシリアスプレイ(LSP)およびラスムセン・ビジョン・スクール(RVS=LSPの背景になる思想)という言葉が出てきました。
IBとLSPは共に、シン高および「幸和」全体の共育において重要な役割を担います。
「幸和」は、認定こども園4園、小中学生向けフリースクール、シン高、㈱eSOM(生涯教育事業)から構成されています。
そうした「幸和」全体が共育を行ううえでの「行動原理(Guiding Principles)」が存在します。
それが「幸和メソッド」と呼ばれるものです。
それを記載した「幸和メソッド・ガイドライン」(以下、「ガイドライン」)は、言ってみれば、幸和メンバー全員の「バイブル」のようなものです。
「ガイドライン」に、「D」、IB、LSP、RVSの関係が詳解されています。
それをそっくりそのままここにコピペします:
幸和メソッド・ガイドライン
第二部
1.IBとLSP
① 幸和の究極目標=IBの究極目標
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幸和の教育目標(以下、「教育目標」)は、「AIを駆使してD=RVSの構築に貢献する人間(学習者/エージェント)の育成」です。
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この「究極目標」は、IBの究極目標と同じです。
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IBの究極目標:「すべてのIBプログラムは、国際的な視野をもつ人間の育成を目指しています。人類に共通する人間らしさと地球を共に守る責任を認識し、より良い、より平和な世界を築くことに貢献する人間を育てます」(「IBの学習者像」)
② IBの学習者/エージェントとLSPの学習者
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IBの究極目標が幸和の究極目標と同じということは、IBの究極目標も、RVSの究極目標と同じということになります。
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幸和とRVSの究極目標が同じであることは、ここまでにすでに立証済みです。
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IBとRVSは目標が同じなだけではなく、前者が構成主義教育哲学を背景とし、後者が構成主義から派生した構築主義教育哲学を背景とすることから、学習者の定義と、その育成法まで同じです。
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LSPとIBの学習者育成法が同じであることは後述するように、LSPコアプロセス=IB探究学習プロセスとなって現れます。
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RVSにおける学習者の定義:「学習者は、自他すべての声を尊重し、すべてのアイディアを共有出来るようになるよう、自らの成長に責任を持つ」
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IBにおける学習者/エージェントの定義:学習者/エージェントは、「率先して行動し、自分の興味や疑問を表明し、自ら選択を行い、そして自分の学習の目標について認識できる」。
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ここでIBが言う「行動」とは、興味や疑問の源泉となる「奉仕となる行動」のことです。
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つまり地球規模での課題(SDGs)の解決に向けての行動です。
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構成主義と構築主義は共に、そうした行動から得られる経験を基にして、学習者自ら知識を構成(構築)することを唱える教育哲学です。
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幸和ファシリテーターは、SDGs目標4達成の担い手としての探究学習者/エージェンシーになろうとする行動から得られる経験を通じて、エージェンシーとは何かを学びます。
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そしてその学びをもとに、園児/生徒も学習者/エージェントとなるようファシリテートしていきます。
② 構築主義教育哲学の特徴
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構成主義に対する構築主義の特徴は、「奉仕としての行動」の一環として、「手を使ったものづくり(エンジニアリング)」により、「作ることで学ぶ」、「手で考える」ことに重点を置くことにあります。
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ここで「構築主義の父」であるシーモア・パパートMIT教授が、「デジタル民主主義の父(の一人)」であることを想起することが重要です。
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パパート教授自身や、彼がその設立に大きく関与したMITメディアLabが、SDGsの中でもサックスが特に重要視する二つの目的を融合し、その達成のための実践を行っていたことは前述の通りです。
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つまりパパート教授やラスムセン氏等その弟子たちは、「D」の構築に貢献する人間としての学習者=エージェントの「鏡」ということになります。
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その証拠に、「D」の萌芽と言ってよいであろうフリーソフトウェア運動やオープンソース運動は、メディアラボやCSAILが発祥です。
③ LSPと暗黙知
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構築主義を背景にもつLSPメソッドとは、「手に任せて構築する作品が、頭で、言葉を使って考えていること以外の、「無意識領域」に存在するモヤモヤとした、形にならないアイディアを表現する」ことです。
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そして「レゴで仕上げた作品に、ストーリーを付け加える。そのそのストーリーこそが、無意識のアイデアの源泉」と言った場合、作品に表現される「モヤモヤ」が暗黙知、一方、それについて語られるストーリー(物語)が無意識ということになります。
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つまりLSPは、精神分析医が行っていることを、レゴを使って行っているわけです。
2.
上記の「ガイドライン」からの引用に注釈を加えたうえで、家庭科の話に入りましょう。
家庭科は、芸術(書道)と並んで、シン高のカリキュラム(教育内容)の「核(コア)」です。
まず、「率先して行動し、自分の興味や疑問を表明し、自ら選択を行い、そして自分の学習の目標について認識できる」という、構成主義と構築主義(つまり、IBとRVS/LSP)が育もうとする探求学習者(エージェント)の定義について。
ここでの「行動」とは、「奉仕となる行動」としての「地球規模での課題(SDGs)の解決に向けての行動」です。
長年、思想史家を生業としてきた私は、柄谷行人さんやIBのみならず、「構築主義の父(つまりはRVS/LSPの父)」であるシーモア・パパートさんの場合もそうであることを、思想史的に立証することが出来ます。
SDGs目標16「平和と公正をすべての人に」は、「持続可能な開発に向けての平和で包摂的な社会を推進し、すべての人に司法へのアクセスを提供するとともに、あらゆるレベルにおいて効果的で責任ある包摂的な制度を構築する」というものです。
この目標は、「小説(3)」で書いたように、「中国と米国の「衝突(クラッシュ)」を中心とする世界の抗争を止揚し、現在、対立中の皆々が協働で「D(=持続可能な開発に向けての平和で包摂的な社会/世界)」を構築することに貢献すること」そのものと言えるでしょう。
つまり「小説(3)」で書いたように、「竜馬になること(=「幸和」の究極目標)」です。
そして、「幸和」全体が「竜馬になること」は、「小説(2)」で書いたように、幸和メンバー1人ひとりが「バガボンドになること」で達成されます。
次回、詳しく論じるように、シン高の必修科目「家庭基礎」の教科書は、こうした「幸和メソッド」の詳解として読むことが出来ます。
3.
「構成主義に対する構築主義の特徴は、「奉仕としての行動」の一環として、「手を使ったものづくり(エンジニアリング)」により、「作ることで学ぶ」、「手で考える」ことに重点を置くことにあります。」
では、「奉仕としての行動」として、まず真っ先に構築しなければならないものは何でしょうか?
私は構築主義の話をする際に、まずこの問いを発するのですが、今まで正解した人は一人もいません。
正解を知れば、「あー、なるほど」となるのですが。
答えは自らの「身体」です。
より正確に言えば、「身体的、精神的、社会的に良好な状態」としての「健康=ウェルビーイング」です。
「社会的に良好な状態」でなければ、「精神的に良好な状態」を蝕み、「精神的に不健康な状態」は「身体的に良好な状態」を蝕みますからね。
「バガボンドになること」も、他者と一緒に「竜馬になること」も、自らのウェルビーイングあってこそです。
シン高ではそうしたことを、「詳しく=科学的に」まず家庭科と保健体育で探求していきます。
そして同じ課題をより「詳しく=科学的に」探求するために、家庭科と保健体育で学ぶことと、理科や社会など他教科で学ぶことを関連付けます。
最終的には「バガボンド/竜馬になること」という明確な目標の達成のための探求学習として、全ての教科が結びつきます。
そうしてシン高では、明確な目標(「バガボンド/竜馬になること」)の達成に向けて、書道(芸術)、家庭科、保健体育という、卒業後の人生にとても役に立つにもかかわらず、受験には関係ないという理由で軽視されがちな科目を出発点として、受験科目さえ、楽しく、意欲を持って学べるカリキュラムを提供します。
4.
「「レゴで仕上げた作品に、ストーリーを付け加える。そのそのストーリーこそが、無意識のアイデアの源泉」と言った場合、作品に表現される「モヤモヤ」が暗黙知、一方、それについて語られるストーリー(物語)が無意識ということになります」という点について。
私にとっては、「文章の構築」ほど、ここで言われていることに当てはまることはありません。
私にとって「文章」とは、「暗黙知」と「それについて語られるストーリー(物語)=無意識」両方の発現です。
そうした私自身の経験と、それにもとづく探求学習をもとにシン高では、「書くこと=文章の構築」こそが、構築主義を土台とした共育の柱の一つとなります。
そもそも通信制高校の教育活動は、課題に関するレポート(作品)の作成(構築)が中心となります。
そうした作品構築(レポート作成)をファシリテーターが「伴走」していきます(決して「教える」のではなく)。
5.
このように、シン高の学び(探求学習)は、パパートさんが唱えた構築主義に貫かれています。
では、シン高をはじめとする「幸和」は、何を構築していくのでしょう?
言うまでもなくそれは、名誉学園長である柄谷さんの言う「D」です。
それは国連の言う「持続可能な開発に向けての平和で包摂的な社会/世界)」に該当するでしょう。
パパートさんも同じ構築物を究極目標として構築主義を唱えたことでしょう。
柄谷さん同様、パパートさんもシン高、否、「幸和」全体の名誉学園長です。
(柄谷さんは御本人から承諾を得ていますが、パパートさんの場合は、「幸和」のSTEM共育顧問である石原正雄さん(パパートさんの孫弟子)にお骨折り頂き、遺族から承諾を得れるよう働きかけます。)
(続く)