eSOM (イゾーム)
Dへの道、あるいはシン高と幸和の物語
2025.05.09
『Dへの道、あるいは幸和物語』(3):AIを友だちにして、自分だけの「バガボンドへの道」をゆこう!
1.
井上雄彦の漫画『バガボンド』に描かれている「バガボンド」こと宮本武蔵。
それは、シン高の共育が育もうとする探求学習者(エージェント)像の究極の芸術的表現です。
前回そのことを説きました。
実は、シン高に関係するのは、『バガボンド』とそこに描かれている武蔵(バガボンド)だけではありません。
実在した宮本武蔵、そして『バガボンド』の原作である吉川英治の小説『宮本武蔵』も、シン高の共育において重要な役割を担います。
(実在した宮本武蔵は武蔵、吉川版の武蔵は「武蔵」、井上版の武蔵はバガボンドと表記することにします。)
まず武蔵が著わした『五輪書』(1645年?)。
この本で説かれていることは、レゴシリアスプレイ(以後、LSP)の背景にある思想であるロバート・ラスムセン(LSPの開発者)の「ラスムセン・ヴィジョン・スクール(以後、RVS)」と、その基となるシーモア・パパートの思想である「構築主義」と相通じるものがあります。
『五輪書』もLSPも、「戦略を形にする思考術」です。(ロバート・ラスムセン、『戦略を形にする思考術』、以後、『思考術』)
両者の類似を如実に物語っているのが、『五輪書』の最終巻で論じられる「空」。
『真訳 五輪書 自分を越える、道を極める』(以後、『真訳』)の訳・解説者であるアレキサンダー・ベネットは、武蔵の「空」は、ミハイ・チクセントミハイの「フロー状態」に近いと述べています。(『真訳』、228頁)
LSPも、チクセントミハイの「フロー状態」に入ることを前提としています。
そしてLSPは、探求学習者=エージェント、つまりはバガボンドになるために最も適した「稽古」です。
この点についてはいずれ詳解します。
2.
チクセントミハイによれば、「フロー」とは「適切な条件の下で、何をしていても完全に没頭してしまう感覚」のことです。
「フロー」に入り「集中力が高まると、恍惚感や明晰感が生まれ、次から次へとやりたいことが明晰になり、すぐにフィードバックが得られる」。
これは全く、私が文章を書いている時の状態です。
私はこの状態にならないと、自分自身満足のいく文章が書けません。
それは、幼児がラキューやお絵描きやおままごとに熱中している時の状態と全く同じです。
あるいは、スポーツをしていて集中力が高まり、何をやっても上手くいく状態と。
これがバガボンドとして探求学習を行っていくうえでの前提条件です。
従って、「バガボンドになること」を目標とするシン高の共育は、師範の資格を持つファシリテーターのもとでの書道から始まります。
武蔵は不世出の剣豪であったと同時に、歴史にその名を刻む書家でもありました。
シン高生は、「書を揮毫する」という「構築」を通して「フロー」を身体を通して学び、それをもとに探求学習を開始します。
3.
書道は中国から伝来した芸術です。
書道以外にも、日本は中国から様々なものを学びました。
特に7~8世紀頃までは。
しかし日中関係の現状は、様々な面で日中戦争(1937~1935年)前夜の様相を呈しています。
立場を逆にして。
ウォルター・ラフェーバーの『日米の衝突:ペリーから真珠湾、そして戦後』を読むと、特にそう感じます。
台湾や南シナ海を取り巻く状況は、まるで当時の満州(現在の中国東北部)のようです。
前回のような結末を迎えたら、「D」の構築どころの話ではありません。
戦前の反復を回避し、「D」を構築するためにも、中国との協働が不可欠です。
勿論、現在、中国に関税戦争を仕掛けている米国ともです。
幕末の薩摩藩と長州藩を現在の中国と米国になぞらえ(どっちがどっちかはこの際考えないことにしよう)、その両者の仲をシン高が取り持ち、一緒に「D」を構築するよう仕向けるとしましょう。
そうなるとシン高は、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の中の坂本龍馬に、そして「D」の構築は、倒幕及びその後の近代日本の構築に対比されると言えるでしょう。
あくまで、史実とは異なる、司馬の小説世界を前提とした話ですが。
いずれにせよ、現状において「D」の構築を究極目標とすることは、シン高が『竜馬がゆく』の主人公としての坂本竜馬(以後、「竜馬」)になり、グローバルな文脈における「現代の薩長同盟」の実現に貢献するということです。
「メンバー」一人ひとりが「バガボンド」に近づこうとする時、シン高が「竜馬」に近づきます。
そして世界は、戦前の反復を回避し、「D」に近づきます。
4.
中国と米国の「衝突(クラッシュ)」を中心とする世界の抗争を止揚し、現在、対立中の皆々が協働で「D」を構築するようになることに貢献すること。
それが「竜馬になること」であり、シン高および「幸和」全体の究極目標です。
そのためにはまず、「メンバー」一人ひとりが「バガボンド」にならなければなりません。
「幸和」特有の目標を達成する上での「自らの役割を自覚し、その役割をまっとうするために必要な能力・資質を育み、実際にまっとうする」人間。
それが「バガボンド」です。
「バガボンド(探求学習者)」への道は、「フロー」から始まります。
つまり、対立を止揚し「D」を構築するという目標に向かって、「知・情・意・体」を鍛錬すること、つまり、「修行」することを、時間を忘れて没頭してしまうほど、しんどくも楽しい「ハード・ファン」にすることから始まります。
そのためには、まずは何をさておき、「フロー=ハード・ファン」が何かを体験し、身体で理解しなければなりません。
シン高ではそれを書道を通して行います。
その一方でファシリテーターは、「バガボンドへの道(修行=探求学習)」が、ハード・ファンなものとなるようなカリキュラムを構築しなければなりません。
そのためにシン高では、出来るだけ多くの科目にLSPとAIを導入します。
例えば、次回に詳しく論じるように、書道と並んでシン高のカリキュラムの「核」となる家庭科の授業(「家庭基礎」)で、「私だけのバガボンドへの道」を設計する際に、まずレゴブロックでそれを表現し、それをレポートの形で解説するといった具合に。
またシン高では、「AIと友だちになろう!」という科目が必修になります。
文字通りAIを、「私だけのバガボンドへの道」を一緒に歩んでくれる友だち(伴走者)にするための「技」を磨く修行をする科目です。
LSPもAIも、「世界最高学府」の一つであるマサチューセッツ工科大学(MIT)が発祥です。
シン高はそのMITが生んだ人々と協働し、AIとの共生社会に適した世界一ハード・ファンなカリキュラムを構築・実行していきます。
(続く)