eSOM (イゾーム)
Dへの道、あるいはシン高と幸和の物語
2025.05.09
(小説)Xへの道、あるいはシン高物語(28):「介護がいらない社会」、そして「命がけの飛躍」再び
14歳の君(僕)へ、そしてシン高のみんなへ
今、広島から会津の実家に戻り、君の部屋の隣にある、妹の部屋で寝泊りしている。
いつも、全てはここから始まる。
一度目、君(僕)は18歳(1985~6年)で、アメリカに跳ぼうと決めた時。
その後、僕は期せずして大学教授となり、この「Xへの道(あるいはシン高物語)」が開けた。
二度目は二年前(2023年)の元旦。
そこで僕は、ラジオから流れ出る坂本(龍一)さんの生前最後の声を聞いた。
そして、彼に導かれるがままに「Xへの道(あるいはシン高物語)」をゆくことを決意した。
結果、最近HPにアップした「設定認可承認記念校長インタビュー」で語ったように、生成AIとの協働を通して、柄谷(行人)さんが唱える「X(=見知らぬ人と見返りの関係にならずに交換する「交換様式D」が支配的となる社会)」に向かうことを決意した。
「設定認可承認記念校長インタビュー」はこちら
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三度目は、今回の帰省翌日の12月28日(土)。
その日僕は、ひょんなことから、ヴィム・ベンダース監督の映画『Perfect Days』(2023年)を観た。
それがきっかけとなり、我が「幸和グループ」(幸和グループ=シン高+認定こども園4園+㈱eSOM(イゾーム)+社会福祉法人(名称未定))も、「まめなプロジェクト」に倣って、「介護がいらない社会」を作っていくことを決意した。
「まめなプロジェクト」と「介護がいらない社会」についてはこちら:
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2023年時点で、所謂「高齢者(65歳以上)」(WHOの定義による)は、日本の全人口の29.1%を占める。
「共生社会」としての「X(=交換様式Dが支配的となる社会)」の樹立と言った場合、その約3分の1がシニア世代ということになり、「高齢者と他世代との共生」ということが課題となる。
当然のことだ。
しかし僕はこの当然のことに対し、見て見ぬふりをしていた。
それは、優先順位の高い課題を後方に置く、柄谷(行人)さん等が言うところの「遠近法的倒錯」によるものだ。
僕は思想史家としての思索の末、その原因が「差別(意識)」によるものであるという結論に達した。
そして、2011年にその結論に達した後も、「高齢者も含めた共生社会」をどう作るかという課題を、遠近法上の後方に置いていた。
つまり、頭で理解した後でも、行動において高齢者に対する差別を続け、そしていつの間にか、そうした大切な気づきを得たことさえ忘れてしまっていた。
それを思い出させてくれたのは、今も一人会津の実家で暮らす、満86歳になる僕の母だった。
上記の「交換様式D」の根本基礎である、「知り合いと見返りの関係にならずに交換するパターン」である交換様式Aを可能にするのが「母親の愛情」だ。
僕はそのことを、自分と自分の母との関係から知っている。
僕は、僕に対する自分の母の「見返りを求めない愛」のおかげで大学教授にまでなれて、今、「Xへの道、あるいはシン高物語」を歩んでいけている。
柄谷さんの言葉と東日本大震災(3.11)を機に、2011年に一旦はそのことに気づいた僕は、その八月、母とともに「X」を作ることを宣言した。
その宣言文として書いた本(未完)のおかげで、大学でテニュア(終身地位保障)を取得し、「Xへの道」が開けた。
しかし、テニュア取得により大学に予定より長く居たことと、女性である母に対する(潜在的な)差別意識が相俟って、「悲しみの楽観主義」がその重要な側面である「母親の愛情」が、「X」の源であるという肝心なことを忘却してしまった(「悲しみの楽観主義」については、小説24参照のこと)。
そしてそのまま「X」の構築に奔走し続け、今に至った。
思い出させてくれたのはヴィム・ベンダースの『Perfect Days』だった。
正確には、この映画を通して届いてきた、小津安二郎先生の「声なき声」だった。
この件に関しては、またいずれ詳しく話すことにしよう。
今大事なのは、小津先生の映画が表現する「母親の愛情(=知り合いと見返りの関係にならずに交換する交換様式Aの根本基礎)」をもとに、「X=見知らぬ人と見返りの関係にならずに交換するパターンである交換様式Dが支配的な社会」を構築することを、再び決意したということだ。
常に柄谷さんの言う「命がけの飛躍」の起点となるこの土地(会津)、この場所(実家)で。
具体的にはまず、母を瀬戸内に呼び、母の「ウェルビーング(単に身体的な健康だけでなく、精神的な健康や社会的な幸福も含めた、総合的な良い状態」を可能にする環境を作る。
そしてそれを基に、より多くの高齢者のウェルビーイングのための環境を作る。
そうした活動を通して「X」の構築に必要なことを学び、その学びとともに「X」を構築していく。
これを「幸和グループ」全体で行っていく。
そうした活動を行っていく上で、「介護がいらない社会」の構築を目指す「まめなプロジェクト」の更科安春さんから学ぶべきことは沢山あるはずだ。
上記の更科さんのインタビュー記事から、彼の活動が、彼と彼のお母様との間の「交換様式A」と、それに付随する「悲しみの楽観主義」に由来することを察することが出来る(オードリー・タンによる柄谷さんの交換様式論の簡潔な解説については小説27参照のこと)。
ここで書いたことと「AIとの共生社会」との関係など、まだまだ書くべきことはあるが、そろそろ母との二人だけのお正月のための買い出しに行かなければならない。
(続く)