eSOM (イゾーム)
Dへの道、あるいはシン高と幸和の物語
2025.05.09
(小説)Xへの道、あるいはシン高物語(27):LA VITA、Buona vita (良い人生)、「Xへの道」の真の意味
1.
14歳の君(僕)へ、そしてシン高のみんなへ
トランプが米大統領に返り咲いた。
「東軍」、「西軍」の争いを軸とする「僕らの世界史」も、これで新局面を迎えることにだろう。
シン高のみんながそれぞれ、将来どのような道へ進むことになろうと、「僕らの世界史」が大前提となる。
またこの世界史は、君たちそれぞれの「道」に大きな影響を与えることになる。
そんな「僕らの世界史」を、出来る限り正確に君らに伝えていくことが、校長である僕の役目だと思っている。
2.
11月6日(水)、世界史が大きく動こうとしているまさにその時、一つの小さな歴史が終わろうとしていた。
四谷三丁目交差点からすぐの裏通りに、「ラ・ビータ(La Vita)」というトラットリアがある:
世界で最も読まれている作家の一人も足繫く通う人気店だが、再開発のあおりで今月、惜しまれながら31年の歴史に幕を閉じる。
「トラットリア」というイタリア語は、「家庭的な料理を提供するカジュアルなイタリア料理店」を意味する。
トラットリアを名乗る店は日本中に山ほどあるが、「ラ・ビータ」は、プロ・フットサル選手としてイタリアで暮らしていたシン高の新谷理事長(TikTokインタビュー参照)が、「こんな本物のトラットリアが日本にあるなんて!」と驚くほどだ(オーナーシェフの須田祐司さんも、長年イタリアで暮らしていた)。
僕が初めて店を訪れたのは、開店して間もない1993年3月6日(土)のことだった。
当時僕は、日経新聞の記者として日々、水面下で始まっていた「バブル崩壊」を追っていた。
その日も、取材の帰りだった。
それから今に至るまで、日本が「バブル崩壊~失われた30年」を経験する一方、世界では「東軍」が勢いを増し、色々なところで「西軍」とぶつかっている。
ちなみに、僕の日経初出社の翌日、1991年9月2日にソ連が崩壊し、それと前後して多くの識者が「(「東軍」vs.「西軍」の)大きな歴史の終焉」を唱えていた。
あれから30年余り、両軍の争いは終焉どころか、「第二次世界大戦前夜の反復」の様相を呈し始めている。
その間、「La Vita」はいつもそこにあった。
「La Vita」はイタリア語で「人生」、「生きがい」、「生命の源」を意味する。
別れ際に須田さんは、店の絵が施された特製テーブルクロスに「Buona Vita!(良い人生を!)」と書いてプレゼントしてくれた。
「Buona vita(良い人生)」。
最近流行りの言葉で言えば「ウェルビーイング(well-being)」ということになるだろうが、Buona vitaと言ったほうが断然「いき」だ。
いずれにせよ、これ以上シン高の存在理由を適切に表す言葉があるだろうか?
3.
1993年12月24日(金)、須田オーナーシェフは、僕の日経退社と渡米を祝して盛大なパーティーを開いてくれた。
その一週間後の12月31日、僕は大学院に進学するために渡米した。
日経は元々3年で辞めるつもりで入社した(そうは会社側には言ってなかったが)。
高校一年の時(1983年)に司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を読んだ時、僕はある人生の目標を定めた。
3年ぐらい日経で記者として働くことは、その目標を達成するために何らかの役に立つだろうと思った。
その目標とは、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』の中の「竜馬」になることだった。
この「竜馬になること」には明確な定義がある。
それは、ほとんどの人が「そうなるべき」、あるいは「そうなって欲しい」と思いながら、「決してそうはならないだろう」と諦めていることを達成することだ。
司馬によれば、薩長同盟がその一つ。
彼がこの小説を書いていた1960年代半ばなら、「東軍」と「西軍」の対立。
今もそうだろう。
この対立の止揚なくして「良い人生」があり得ないことは、これまでの世界史が証明している。
「良い人生」どころか、広島・長崎に象徴される、戦後直後の「あの状態」に逆戻りだ。
否、今度はもっと酷いことになるという人も大勢いる。
ともかく、高一だった1983年から2017年まで、この「誰もが望みながら不可能だと思っていること」を可能にする方法を探究することが、僕の人生の全てだった。
日経に入社したのも、そこを辞めて大学院に戻り、大学教授になったのも全て、この探求のためだった。
2017年、ついにその方法が明らかになったので大学を辞め、その方法に従い、「東西の対立の止揚」という目標達成のための実践を始めた。
その第一歩がシン高を作ることだ。
4.
なぜシン高が、東西の対立の止揚への第一歩なのか?
その説明を、11月6日、僕にとっての「La Vita」最後の日からはじめよう。
その日僕はそこに、他4名と一緒に行った。
株式会社IRODORI代表取締役の谷津孝啓(やつ たかひろ)さん。
IRODORI取締役で、「わばままLab」という同社の核となる事業を牽引する永井彩華(ながい あやか)さん。
IRODORI顧問で、東京学芸大学教授(同大学教育インキュベーションセンター長および学長補佐)の金子嘉宏(かねこ よしひろ)さん。
そして新谷耕平シン高理事長。
IRODORIの「わがまま Lab」は、マサチューセッツ工科大学(MIT)とGoogleが共同開発したApp Inventorというアプリ開発ソフトを用いて、生徒が実際に課題解決に役立つアプリを開発することを通してデジタル人材を育成していく。
近年、多くの学校が取り組む課題解決型学習(という形を取る探究学習)は、課題設定と解決案の発表で完結しがちで、その点がこのところ問題視されている。
「わがままLab」はアプリ開発というかたちで、実際に課題を解決するのみならず、それをユーザーに利用・評価してもらうことで、「デザインシンキング」や「システム思考」といった能力・資質が培われ、学びの効果を高める。
そうして「わがままLab」は、「デジタルツールやテクノロジーを使って、課題解決を行うこと」、つまりは「コンピュテーショナルアクション(computational action)」が出来るデジタル人材となるために不可欠な能力を育む。
·13 Views
Q. コロ、「デザインシンキング」について教えて。
·2 Views
·6 Views
「AI・ITスキルを駆使し、自分の力で幸せを掴む人を育む」ことを標榜するシン高は、IRODORIと協働して、「わがままLab」の活動を基にした「デジタル人材になるために(仮題)」という必修科目(「総合的探求の時間」)を設ける。
5.
「わがままLab」が他のデジタル人材育成と一線を画すのは、MIT App Inventorの利用だけではない。
「わがままLab」が「社会課題」という場合、それは「たった一人の課題」を意味する。
それは「特定の人のために設計されたものが、結果としてより多くの人にとって便利なもの」となるという「カーブカット効果」を通して、似たような課題を持つ人の役に立つ。
Q. コロ、「カーブカット効果」について教えて。
これは、「知り合いと見返りの関係にならずに交換するパターン」から「見知らぬ人と見返りの関係にならずに交換するパターン」への拡充に近い。
つまり、柄谷(行人)さんのいう交換様式AからX(交換様式D)への拡充だ。
ここでのAおよびXの定義は、柄谷さんのことを敬愛するオードリー・タンの『オードリー・タン、デジタルとAIの未来を語る』の一節「柄谷行人の「交換モデルX」から受けた大きな影響」からのものだ(『オードリー・タン、デジタルとAIの未来を語る』、83頁)。
永井さんや谷津さんが行っていることは、オードリーが台湾で実践してきたコンピュテーショナルアクションと基本同じだ。
(僕は芸人のオードリーのことが、「広島の快男児」有吉弘行さんの次にお気に入りなので、タンのこともファーストネームで呼ばせてもらう。)
つまり「わがままLab」の活動も、オードリー同様、AをXに拡充する活動だ。
シン高の歩んでいく道、つまり「シン高物語」が「Xへの道」であるという時のXとは、このことを意味する。
AをXに拡充すること。
これが2017年に見つけた、「誰もが望みながら不可能だと思っていること」としての「東軍」と「西軍」の対立の止揚の方法だ。
つまり、「竜馬」になるための方法だ。
勿論、柄谷さんの交換様式論のことはそれ以前から知っていた。
というか、「哲学のノーベル賞」と言われるバーグルエン哲学・文化賞の受賞対象であるこの理論を作る決意を僕はすでに、今からおよそ30年前、1994年2月26日(土)の時点で柄谷さん本人から聞いている。
コーネル大学キャンパス内にある凍てつく湖の氷上で。
開店一周年を間近に控えた「La Vita」で須田さんが、渡米する僕のためにパーティーを開いてくれた約2か月後のことだ。
今思えば、この柄谷さんの決意表明が、僕の「竜馬」になるための方法探しの出発点だった。
それから23年後の2017年、僕を最初に米国に導いたアインシュタインを介して、柄谷さんと僕の「冒険の旅」が交差する(アインシュタインの件はまたいつか)。
6.
ともかくそうして「Xへの道」が始まった。
紆余曲折の末、2022年、同じ道をゆく仲間を作るために、新谷理事長と学校を作り始めた(つまり理事長が一人目の仲間ということになる)。
それを作っていく過程で、全く異なる「Xへの道」を歩んできたIRODORIの二人と出会い、仲間(彼らの言うところの同志)になった。
そのIRODORIが主催する「ワガママLab認定ファシリテーター講座」を受けていて、「アップインベンターによるたった一人の課題解決が、「カーブカット効果」で大勢の「見知らぬ人」に広がるというのは、交換様式AのX(交換様式D)への拡充だという考えが浮かんだ。
そんな中、谷津さんの口からオードリーの名が出たので、久々にオードリーの本を紐説いた。
するとオードリーが台湾で行ってきた「コンピュテーショナルアクション」(それはIRODORIの活動と重なる)が、柄谷さんの世界史の哲学(交換様式論)を基にしていることを知った。
それだけではない。
驚いたことにオードリーは、僕同様、「コンピュテーショナルアクション」による、交換様式AのX(交換様式D)への拡充が、「誰もが望みながら不可能だと思っていること」の解決、つまり「竜馬になること」の方法であることを以下のように語っていた(引用部分は太字):
私が重視しているプログラミング思考とは、純粋なプログラミングを書くための能力や思考ではありません。これは「デザイン思考」や「アート思考」と言い換えることができます。
プログラマーがプログラムデザインをする際に重要なのは、どれだけ多くのツールを持っているかではありません。これらのツールを利用して、物事を見る方法や複雑な問題を分析する方法を訓練することです。それが複数の人と共同で問題を解決するための基礎となります。
これがプログラミング思考であり、「デザイン思考」「アート思考」です。このアプローチを習得する人が増えることで、気候変動など、より大規模な共通の問題をより多くの人の力で解決できるようになります。大きな数字や統計データを見たり、地球規模的な問題に直面すると、「人間はなんと小さな存在か」と感じ、「こんな大問題に対処するのは不可能だ」と感じることがありますが、それはプログラミング思考ができていないからなのです。
一人で解決しようとするのではなく、「共同で考えればいい」と考えれば、対処しなければいけない問題が大きすぎるとか、手に負えないとはなりません。そのような複雑かつ大規模な問題を把握する能力を養うことは、社会に対する大きな貢献を行うことになると私は考えています。
このプログラミング思考、デザイン思考、アート思考は、広い意味で「コンピュータ思考」と言っていいでしょう。これらは一人ひとりにどのようにアプローチしていくかを考え、その人の視点でどう世界を見ていくかを考えるときの土台となります。この土台があって初めて、「共通の価値観にいかに集約していくことができるか」を考えることができるようになるのです。
先にも言及したように、プログラミング思考とは、解決すべき具体的な問題があるときに、まず問題を小さなステップに分解し、それぞれを既存のプログラムや機器を用いて解決できるようにするものです。これは問題の中にある共通部分を見つけ出す方法でもあるので、ある場所で問題を解決できた場合、別の場所でも応用ができます。
したがって、コンピュータ思考とは、問題を再び作り直すことにもつながるのです。「他の人と一緒に様々なプログラムを用いて協力し合って問題を解決する」というのは、一種の解体と再構築の方法と言えるでしょう。
コンピュータ思考の基礎ができていれば、次は自分が関心を持つ分野を学んでいけばいいでしょう。関心や興味がある分野について専門的に学び、知識や技術を身につけていくことです。繰り返しになりますが、そのための基本になるのが、プログラミング思考であり、デザイン思考であり、アート思考なのです。(オードリー・タン、『オードリー・タン、デジタルとAIの未来を語る』、180頁)
要は、IRODORIが浸透させようとしている「デザイン思考(=プログラミング思考=アート思考=コンピューター思考)」が出来る人々による協働(
)が、交換様式AをX(交換様式D)に転化し得る。
ここで、この転化ないし拡充に関し、一つ注釈・校訂を施さなければならない。
オードリーはこうした考え(それはIRODORIの考えに近いだろう)を、柄谷さんの『世界史の構造』(2010年)をもとに論じている。
ただ、その続編である『力と交換様式』(2022年)で柄谷さんは、交換様式AからX(交換様式D)への転化は、人間が企図し得るものではなく、「向こうからやって来る」としている。
この点を柄谷さんは、世界的に報道された「バーグルエン哲学・文化賞(ノーベル哲学賞)」の受賞スピーチで強調している(日本語版がどこかにあったはずだが、みあたらないので英語で。実際のスピーチは英語で行われた)。
↓
確かに、現在の東西対立の止揚が、computational actionだけで成し得るとは考え難い。
何か別な「力」がいる。
それを柄谷さんは「霊的な力」と呼ぶ。
「霊的な力」と言っても、何も柄谷さんがオカルトに走ったわけではない。
4つに分類されてる人類史上の交換様式のうちの最初の3つはどれも実際に、それぞれに特有の「霊的な力」を生み出し、それが各交換様式をある一定時空間で支配的なものにした。
最も身近な例で言えば、ただの紙きれ(紙幣)や「仮想通貨」に、大豪邸やスーパーカーと同じ価値が宿ていると思い込む、交換様式C(資本制)における「貨幣物神」だ。
·14 Views
·3 Views
この「霊的な力」とは、ユヴァル・ノア・ハラリが『サピエンス全史』で論じる「神話(物語)」に近い。
ハラリ自身、「貨幣物神」が近代における社会形成を可能にする「神話(物語)」であると言っている。
·3 Views
となると、X(交換様式D)の形成には、それ固有の「神話(物語)」が必要ということになる。
IRODORI風に言えば、社会課題の解決にはcommunity organizingが必須であり、そのためにはpublic narativeが必要ということだ。
·3 Views
·1 View
X(交換様式D)という、地球規模の課題の解決のためのコミュニティの形成に不可欠な「神話(物語、public narrative)」。
それがこの『Xへの道、あるいはシン高物語』ということになる。
7.
イタリア語のLa vitaは「人生」、「生きがい」、「生命の源」という意味だそうだ。
トラットリア「La Vita」はまさに須田さんの生きがいであり、そして僕の「生命の源」だった。
1993年12月24日と2024年11月6日。
「Xへの道」をゆく旅の始まり。
そして、新しい仲間とのファイナル・ステージへ向けて出発。
そのどちらも、この四谷三丁目の路地裏に佇むトラットリアからだった。
須田さん。
そして、彼と一緒に店を切り盛りしてきた中村さん。
お疲れ様。
ほんとうに今までありがとう。
お二人も buona vita!
(続く)