シンギュラリティ高等学校 SHINGULARITY HIGH School

ストーリーアイコン eSOM (イゾーム)
Dへの道、あるいはシン高と幸和の物語

2025.05.08
(小説)「Xへの道」、あるいはシン高物語(16):似島~瀬戸内~沖縄

14歳の君(僕)へ、そしてシン高のみんなへ
「物語をメタバースに」
この発想は、去年の年末、NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)で、野歩美という新進気鋭のメディアアーチストの作品《未踏のツアー “”The Untrodden Tour”》[2022]を観た時に得たものだ:
この作品が僕に

の可能性を教えてくれました。この作品をヒントに『

』をメタバース化し、

がこの物語を実際に「生きれるようにする」ことを本気で考えています。ちなみに「シン高生」とは生徒だけでなく僕も含め全ての関係者を含みます。

この作品を観にわざわざ広島から東京まで出かけたわけじゃない。
12月14日(木)、ある用があって、世界に名だたるメディアアーチスト・高谷史郎さんに電話した。
すると彼は、16日(土)から始まる「坂本龍一トリビュート展」のためにICCにいた。
「坂本龍一トリビュート展」についてはこちら:
そこで急遽僕も広島から東京に出かけていったわけだ。
そしたら「トリビュート展」の傍ら、「ICCアニュアル 2023 ものごとのかたち」という展覧会が開催されていた。
「ICCアニュアル 2023 ものごとのかたち」についてはこちら:
面白そうだから覗いてみると、そこに菅野さんの作品が展示されていた。
つまり、高谷さんと坂本さんの「お導き」がなければ、菅野さんの作品に出会うことはなかった。
そしてもし出会っていなければ、『シン高物語』をメタバース化し、シン高生みんなでバーチャルとリアルを行ったり来たりしながら、色々と楽しいこと、世の中にとって良いことをやっていこうなんて発想は出てこなかったかもしれない。
この二人の芸術家はまさに、シン高の「水先案内人」なんだ。
その二人の作品が、「シン高が進むべき道」である「Xへの道=シン高物語」の究極の芸術的表現として、シン高の向洋駅前キャンパスに展示される。
これは大変なことだ。
二人が世界的にどれだけ評価されている芸術家であるかを知っていれば、その凄さが分かるはずだ。
そしてそんな大それたことの始まりは、2023年6月9日(金)、人影もまだらな似島の海沿いの道を歩きながら、当時小一だった大切な友人に手紙を書くことに至った一連の流れだった。
以下がその手紙だ:
K君、こんばんは。
金曜日に僕は、似島に行ってきました。
ちなみに僕はこの手紙を、幼稚園の園長先生ではなく、K君の友だちとして書いています。
だから自分のことを、先生とか、園長先生とか書かずに、単に「僕」と書きます。
それと、大人の友だちに書く時のように、普通に漢字を使います。
その理由の一つは、そのほうが良い手紙を書くことに時間を費やせるから。
もう一つは、漢字であれ、英語であれ、言葉を沢山知っているほうが、沢山の情報を得れることを、K君に知ってもらうためです。
そして、沢山情報を得れれば、それだけ楽しいことを知ることが出来ることを知ってもらうためです。
漢字を覚えるまでは、お母さんに教えてもらってくださいね。
昨日の朝、急に似島に行こうと思ったのは、K君が「一緒に作ろう」と誘ってくれた「装置」をどんな風に作るか、その構想を練るためです。
「構想を練る」とか、もしかしたらまだちょっと難しいかもしれませんが、そういう大人が普通に使う表現もどんどん使っていこうと思います。
理由は上で書いた通りです。
分からない時はお母さんに訊いて下さい。
K君ならすぐ分かるようになるでしょうし。
「似島学園」前でフェリーを降りて、小学校に行くのとは逆側(降りて右側)に歩き出しました。
しばらくすると、足元で沢山の同じ虫が「サササッ」と山や土手のほうに逃げて行くのに気付きました。
その逃げる様子が『となりのトトロ』の「まっくろくろすけ」そっくりだったことで、愛着が沸きました。
一見、毛虫に似ていましたが、よく見ると違うし、そもそも毛虫は「まっくろくろすけ」のように素早く動かないので、グーグルで画像検索しました。
けれど、スマホを寄せると直ぐに逃げてしまうので結局検索出来ず、分からずじまいでした。
とりあえずK君と2人の間では、「ニノシマムシ」と呼ぶことにします。
ニノシマムシは毛虫とムカデを足して二で割ったような姿で、55年の人生で一度も見たことがない生き物でした。
そんな今まで見たことのない生き物が大勢いることにとても驚きました。
そうしているうちに、ある考えが浮かびました。
「ニノシマムシは、原爆で亡くなった方々の「生まれ変わり」なんだよなあ」と。
似島は原爆で亡くなられた大勢の方の火葬・埋葬場所だったそうです。
ここで僕が言う「生まれ変わり」とは、仏教の「輪廻転生」とは二つの意味で違います。
一つは、僕がここで言う「生まれ変わり」は、至極、科学的です。
火葬であれ埋葬であれ亡くなった生き物は、亡くなったその瞬間から新しい物質になり、その物質からまた新しい生き物(生命体)が誕生するわけですから。
二つ目は、僕が知る限り仏教の世界観においては、人間とそれ以外の生き物の関係において、人間のほうが上と見做されているようですが、僕は全くそうは思いません。
なぜなら僕は、大人の友だちよりも、クモやコオロギといった昆虫のほうが、心から友だちと思える存在が圧倒的に多いからです。
人間でも、子どもはみんな友だちですけれど。
「のぞみっこ」と園庭で遊んでいる時も、「死んでても生きてても、昆虫もみんな友だちだよ」と言っています。
なかには「違うよ」と言うお友だちもいますが、そしたら「なんで違うの?」と質問攻めです(笑)
そうしているうちにこの間、「カマキリが死んだから「ひまわり」っていう名前を付けて、お墓を作ってあげた!」というお友達がいて、僕はとてもうれしくなりました。
だから、動きが「まっくろくろすけ」によく似た、今はニノシマムシになった被爆者の方々もみんな友だちです。
僕がK君と一緒に作りたいと思っている「装置」は、「この世」や「あの世」(過去・未来)にいる人間や人間以外の生き物全てが、みんな一緒に楽しく幸せにいれるようにする「装置」です。
そんな装置をK君と一緒に、アイディアを出し合って作れればいいなと思っています。
また僕は、この「装置」をK君と一緒に作るために、「アトリエぱお」に通うことにしました。
こんな、これまで誰も作ったことのないような「装置」を作るには、色々な知識や技術、そして仲間(=友だち)が必要ですからね。
この「装置」を、K君や「ぱお」のみんなと一緒に、似島だけじゃなくて瀬戸内海全体に作ることが楽しみでなりません。
また「装置作り」に関していいアイディアが浮かんだら、K君に手紙を書きますね。
 
この手紙を書いてから約半年後、東京のICCで、「シン高物語15」で引用した坂本さんのメッセージを読んだ。
即座にこのK君への手紙のことを思い出した。
原爆に殺された人々の生まれ変わりとしての「ニノシマムシ」のくだりを。
 
K君は特別な能力・資質を持つ子だ。
この手紙で僕が言わんとすることを、小1にしてすでに理解出来てしまうほどに。
だから同じ歳の子と一緒にいると浮いてしまう。
学校の先生の多くはどう接していいか分からない。
結果、今、彼は半ば不登校の状態だ。
なんとか中学になる歳まで世界に食らいつき、シン高中等部、そしてシン高に来て欲しいと思っている。
中等部も含めシン高を、彼のような素晴らしい能力・資質を持つが故、今の日本の学校教育に馴染めない子が通うに値する高校にする。
 
そんなK君は、似島で一緒に「装置」を作ろうと言ってくれていた。
僕は彼の言う「装置」を、手紙に書いている通り、「「この世」や「あの世」(過去・未来)にいる人間や人間以外の生き物全てが、みんな一緒に楽しく幸せにいれるようにする「装置」」と理解した。
「この世」や「あの世」(過去・未来)にいる人間や人間以外の生き物全てが、みんな一緒に楽しく幸せにいれる場所
それが「X」だ。
最初、この「Xのための装置」を、縁あって通い始めた「アトリエぱお」の大人向けアート教室で、一つのアート作品として作ろうとした。
そして、どんなものにしようか思案した末、自分がそうした「装置」として作りたいものとは、高谷さんと坂本さんのコラボアートや、高谷さんが所属するメディアアート集団「ダムタイプ」による作品のようなものしかないという結論に達した。
それが僕にとって「Xの究極の芸術的表現」だから。
そのようなアート(=「装置」)のヒントを得るために、K君がそこで一緒でそれを作ろうと言ってくれた似島を訪れることにした。
そこで僕は「ニノシマムシ」を見かけ、それをきっかけにシン高が向かうべきXとは何かを悟った。
それが「「この世」や「あの世」(過去・未来)にいる人間や人間以外の生き物全てが、みんな一緒に楽しく幸せにいれる場所」であることを。
そしてK君が一緒に創ろうと言ってくれた「装置」とは、「Xのための装置」でも、「Xの表現としてのアート」でもなく、「アートとしてのX」、つまり「アートとしての場所」、「アートとしてのコミュニティ」そのものであることを悟った。
この「アートとしてのX」が、シン高におけるの教育の柱である「瀬戸内地域を世界で一番ウェルビーング度の高い地域にしよう!」プロジェクトだ。
同プロジェクトについてはこちら:
シン高生はXの完成を目指す。
そしてそうすることで、死ぬまで、否、(一度)死んでからも必要なことを手に入れる。
それら二つのシン高の教育目標は、二つで一つ、ということになる。
そしてXを「車」に例えるなら、高谷さんと坂本さんのアートはその「エンジン」だ。
最近では「PU(Power Unit、 パワー・ユニット)」と言うらしいが。
それがあってはじめて「車」は動き出す。
だから何が何でも二人のアートを瀬戸内地域に持ってこなくてはならない。
向洋駅前キャンパスの常設展示はその序章に過ぎない。
 
Xの「究極の芸術的表現」乃至その「エンジン」としてまず頭に浮かんだのが、ダムタイプの『LOVERS』と『LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999』のエンディングだ。
後者は、似島発のXが、まずは瀬戸内地域を経由して沖縄へと広がっていくことを示唆する。
そしてそこから世界の隅々へと広がっていく。
(続く)
追伸
最後のくだりを書いていて、プロジェクト名を「プロジェクト LIFE」ないし「LIFE プロジェクト」にするというアイデアが浮かびました。
一覧へ戻る

シンギュラリティ高等学校で、
自分自身の可能性を高め、
AIとともに、未来を切り拓く

お電話でのお問い合わせ

082-288-2026

電話受付時間 火~土曜日 9時~18時