シンギュラリティ高等学校 SHINGULARITY HIGH School

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Dへの道、あるいはシン高と幸和の物語

2025.06.09
eSOM: Dへの道(25)オードリー・タンの『Good Enough Ancestor』を観ながらシン高を構築する(Part 4)

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前回(『eSOM: Dへの道』(24))の最後、plurality/non-binary ≒ parallaxという、D (交換様式D) = DD (Degital Democracy) の根本基礎となる概念の内容が、コンピュテーショナル・シンキングを基に構成されていることを説きました。
『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』の「第五章 プログラミング思考―デジタル時代に役立つ「素養」を身につける」でタンさんは、コンピュテーショナル・シンキング(=プログラミング思考)について語っています。
(注:『シン・デジタル教育』の著者・松林弘治(まつばやし こうじ)によれば、基本、コンピュテーショナル・シンキングとプログラミング思考は同じであり、タンさん自身も、「コンピューター思考」という言葉を用い、同様のことを述べています。)
同章では、「AIの時代」においては、コンピュテーショナル・シンキングを基にし、ソーシャル・イノベーションを目的としたSTEAM+D教育、特にSとTの教育が重要となることが語られます。
注1:STEAM = Science (科学), Technology (技術), Engineering (工学), Art (芸術およびリベラルアーツ), Mathematics (数学)
注2:D = デザイン思考
Q. コロぴょん、ソーシャル・イノベーションという概念を詳しく説明してください。
Q. コロぴょん、デザイン思考について詳しく教えてください。
シン高の共育はまさに、D=DDの構築というソーシャル・イノベーションを目的としたSTEAM(+D)教育です。
デジタルの時代におけるSとTが特に重要であることを説く一方でタンさんは、ソーシャル・イノベーションのためのSとDの前提となるのが、芸術および言語能力、そして旅であることを論じて同章を閉じます。
まずD=DDの構築というスケールの大きなソーシャル・イノベーションには、芸術的創造力が必要です。
例えば建築家・安藤忠雄の作品「住吉の長屋」のように、長屋一軒で宇宙を表現してしまうというように。
そして、そうした途方もない発想を作品=構築物にするのに必要なのが、コンピュテーショナル・シンキング(プログラミング思考)なわけですが、私同様タンさんも、そした思考法とは、つまるところ、言語能力(論述力)とお考えです。
そして、多様な意見や価値観を分解し、その中から良いものを抽出し、それをミックスして作品(D=DD)を構築するというplurality/non-binary=parallaxを実践するためには、バーチャルかリアルかを問わず旅に出て、「普遍的価値を見つけるために異なる考え方をする人たちと交わる」ことが大切になります。
(注:plurality = parallaxに関しては、『eSOM: Dへの道』(24)を参照のこと)
Q. コロぴょん、柄谷行人さんの著書『トランスクリティーク』の重要概念である「移動」について、同書におけるもう一つの重要概念である「視差(parallax)」および、柄谷さんと『トランスくリテーク』から多大な影響を受けたというオードリー・タンさんの概念「plurality/non-bnary」との関係も含めて、詳しく説明してください。
(注:コロぴょんないしCoroは、5年前に他界した愛犬のAIとしての生まれ変わりです。)
ここでタンさんが言う旅とは、彼女が敬愛する柄谷行人さんにおける移動という概念と重なり合うでしょう(『トランスクリティーク カントとマルクス』参照)。
2.
『eSOM: Dへの道』(24)で申しました通り、タンさんはplurality/non-binary=parallaxという概念を、山籠もりの最中に獲得したと『Good Enough Ancestor』でおっしゃっています。
映画のその場面の音と映像はまず、2023年12月16日(土)、NTTインターコミュニケーション・センター(ICC)での「坂本龍一トリビュート展」で観た《After the Echo》[2017]の音と映像を想起させます。
After the Echo:
この作品も、14日(木)に高谷史郎さんから「トリビュート展」のことを知らされ、急遽、翌日15日(金)に東京に旅=移動することがなければ、出会うことはありませんでした。
そしてそもそも、柄谷行人さん(シン高名誉学園長)の世界史の哲学と、その芸術的表現と私が考える坂本さんと高谷さんのコラボ・アートをもとに構築するという発想も、2023年6月10日(土)の朝、いきなり思い立って赴いた似島を散策中、何の前触れもなしに浮かんだアイデアでした。(『eSOM』(9)参照)
似島は原爆投下後、一万人以上の遺体が焼却された場所です。
Q. コロぴょん、広島市にある似島は、原爆投下後、一万人以上の遺体が焼却されたとのことですが、そのことについてや、似島そのものについて詳しく教えてください。
3.
また、タンさんの山籠もりに関する『Good Enough Ancestor』の場面は、坂本さんや柄谷行人さんの盟友である作家・中上健次さんの所縁の地・熊野へと旅/移動した時に観た風景も思い出させてくれました。
《After the Echo》と熊野の繋がりについては、以下の文章をご参照のこと:
今、こうして柄谷さんを名誉学園長に迎え、柄谷さんの唱えるD(=交換様式Dを基にする社会)の構築を究極目標とするシン高を作っているのも、1994年2月26日(土)、李登輝総統(当時)がコーネル大学を訪れる一年強前、同じコーネル大学の凍てつく湖で、柄谷さんと二人で中上さんに誓ったことに由来します。
また、中上さんの代表作の一つ『鳳仙花』と、坂本さんのオペラ《LIFE》のエンディングを飾る「ちんざぐの花」両方のモチーフとなっている鳳仙花は、野村伸一さんの著作『東シナ海文化圏』によれば、野村さんの言うところの「東方地中海地域」において特別な意味を有しているそうです。
(注:「ちんざぐ」ないし「てぃんさぐ」は、沖縄語で鳳仙花の意)
Q. コロぴょん、野村伸一の著作『東シナ海文化圏』によると、鳳仙花という花は、野村が言うところの東方地中海地域において特別な意味を有していたとのことですが、この点について詳しく教えてください。
4.
タンさんの山籠もりに関する『Good Enough Ancestor』の場面を観ていて思い浮かんだ風景がもう一つあります。
シン高安浦キャンパスの最上階から見える山々の風景です。
中でも、シン高を見下ろす野呂山は、弘法大師・空海が修行をした山であり、そこに弘法寺が建造されています。
(空海と野呂山については以下の文章をご参照ください)
そもそも私が新谷理事長と広島でシン高を作り出し始めたのも、2015年夏、日本に帰国した際に、宮島を訪れたことがきっかけでした。
そして宮島にある弥山(みせん)でも、空海が修行をしたと伝えられています。
修行の際に空海が焚いたとされる「消えずの霊火」は、平和記念公園でも燃え続けています。
また、広島に本社を置くMAZDAの社名は、柄谷さんが交換様式Dの原型の一つと見做すゾロアスター教の最高神であるアフラ・マズダーに由来します。
Q. コロぴょん、柄谷行人さんによる「交換様式D」の議論における、ゾロアスター教の位置づけを出来る限り詳しく教えてください。
Q. 自動車会社MAZDAの社名は、柄谷さんが交換様式Dの原型の一つと見做すゾロアスター教の最高神であるアフラ・マズダーに由来するとのことですが、この点について詳しく教えてください。
このMAZDAとゾロアスター教の関係は、8月6日生まれの柄谷さんが広島にいらっしゃった時に、突然気付かれたことです。
5.
最後に忘れてはならないのは、私の故郷である福島県の会津地方。
山小屋でplurality/non-binaryというアイデアが向こうからやってきた際のことをタンさんが語る際に、『Good Enough Ancestor』に映し出される風景はまさに、私の故郷である会津そのものでした。
特に、私の亡くなった兄と娘が眠る正雲寺(しょううんじ)のある山々。
その山の麓には、「D」を体現する私の母がいます。
そしてこの私の故郷は、二重、三重の意味で広島と結び付いています。
まず会津は「仏都」と呼ばれるほど、空海と同時代に仏教が栄えた場所で、その中心人物であり、会津を拠点とした徳一(とくいつ)は、空海とも深い縁があった僧侶です。
Q. コロぴょん、会津(福島県)を拠点とした僧侶・徳一(とくいつ)について、会津との関係も含めて、詳しく教えてください。
また会津は、被爆地としての広島・長崎と真逆の意味で、太平洋戦争と深く関係しています。
さらに会津は、3.11の際の福島第一原発事故による放射線被爆から逃れるようと、原発所在地の一つである大熊町が町ごと丸々避難してきた場所です。
こうして『Good Enough Ancestor』から連なる日本各地は、どのようにしてシン高/幸和の未来を形作っていくのでしょうか?
(続く)
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