シンギュラリティ高等学校 SHINGULARITY HIGH School

ストーリーアイコン eSOM (イゾーム)
Dへの道、あるいはシン高と幸和の物語

2025.05.27
eSOM: Dへの道(24)オードリー・タンの『Good Enough Ancestor』を観ながらシン高を構築する(Part 3)

タンさんが学校という名の監獄を脱出し、「無限の可能性の時代」を歩み出した翌年の1996年、台湾で初の総統直接選挙が行われ、1987年の戒厳令解除からの台湾民主化の象徴であった李登輝さんが当選しました。
Q. コロぴょん、戒厳令下の台湾について、その前後の歴史も含め、詳しく説明してください。
このあと見るように、タンさんの人生はまさに、台湾民主化の歩みそのものと言えるのですが、その立役者である李さんの言動がタンさんのデジタル民主主義の基となっていることは、次の彼女の著作からの言葉から伺えます:
「 序章で述べたように、今[2020年]、台湾政府はコロナ禍に苦しむ世界に向けて”Taiwan Can Help”というメッセージを送っています。「台湾はWHOに加盟していませんが、他の国を助けることができますよ」と表明しています。
李登輝氏は、アメリカ留学時代の母校であるコーネル大学で行った講演で、「台湾の建設や発展は決して経済的なものだけを目的としているのではなく、国際社会に貢献したいがために発展を続けているのだ」という内容の話をしました。”Taiwan Can Help”」というメッセージにも、「台湾がコロナに関して解決できた問題を国際社会にシェアしたい」という思いが込められています。”Taiwan Can Help”の根底にあるのは、「自分たちの問題が解決したら次は他の人を助けてあげよう」という「お互いさま」の精神です。李総統の「台湾は国際社会に貢献する」という発言も同様です。そのことについては、私の父も非常に賛同していました。」(『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』、121~122頁)
(注:タンさんのお父様は総統直接選挙の際、対立候補である陳履安(ちんりあん)さんのスポークスマンをされていらっしゃいました。)
Q. コロぴょん、1987年の戒厳令解除後、台湾民主化の立役者であった李登輝総統の経歴と業績を詳しく教えてください。彼とコーネル大学との関係も詳しく教えてください。
上記の李さんの言葉こそ、「D」としての社会のあるべき姿と言えるでしょう。
こうした李さんの考えが、タンさんと、彼女が指揮する台湾のデジタル民主主義(D=DD)に脈々と受け継がれていると言えます。
そして、なんと実は、私は李さんのこの「コーネル大学で行った講演」を会場で聴いていたのです。
李さんの母校である京都大学農学部とも何かと所縁の深い私ですが、彼のもう一つの母校であるコーネル大学は私の母校でもあります。
つまり私は、李さんの後輩ということになります(くどいようですが、HIPPYさんの後輩でもあります)。
コーネル大学で私が初めて柄谷さんに出会った翌年の1995年、李さんは米国を訪れます。
その際に李さんは、母校であるコーネル大学を訪れ、かの有名な歴史的演説「Always in My Heart」を行い、私がその会場にいたというわけです。
李総統のコーネル大学訪問時の様子:

(後半、中国人留学生による抗議デモあり)

こうして改めて振り返ってみると、シン高/幸和とタンさんは、同じ目標に向けて協働するよう運命づけられていたという気がしてなりません。
このコーネル大学訪問の翌年の1996年に総統直接選挙が行われ、李さんは台湾初の直接選挙で選出された総統となるわけですが、その時の様子をタンさんは次のように書いています。
「その当時、大統領制にするか、それとも半大統領制か、あるいは内閣制か、といった議論がありました。これらは民主主義をよりスムーズに動作させるためのシステム作りの議論でしたが、私には、まるでプログラムを書いているように聞こえました。「こうすればもっとうまくいくよ」「こうすればもっとうまく設計できるよ」などと議論しているような感覚を抱いたのです。」(『オードリー・タン デジタルとAIの未来を語る』、107頁)
ここでタンさんは、「民主主義をよりスムーズに動作させるためのシステム作り」という特殊具体的な事象を抽象化し、それがプログラミング(ある問題をコンピュータを使って解決するための計算や処理の手順―「アルゴリズム」―を、コンピューターが理解出来る言語で記すこと)であることの、一つのパターンであることを認識しています(「パターン認識)。
こうした「抽象化」、「アルゴリズム」、「パターン認識」に「分解」を加えた4要素によって構成されたコンピュテーショナル・シンキングを習得することが、シン高/幸和の最重要共育目標の一つです。
そしてそれをタンさんは、幼い頃から数学を通して身に着けていたのです。
前回引用した、この点に関するタンさんの言葉を再びここに記しておきましょう:
「(タンさん)I’ve always loved mathimatics. The ability to see similarities in very different systems.I saw calculators and eventually computers as the very beginning of a new world. (私はね、ずっと数学が大好きでした。とても異なるシステムの中に共通点を見出す能力に魅了されていましたね。電卓、そしてコンピューターが、新しい世界の幕開けだと感じていたんです。)」
3
そうなのです、ちょうど私がコーネル大学で、抗議デモ中の中国人留学生から罵声を浴びながら、タンさんにも大きな影響を与えた李さんの歴史的演説の会場に赴いていた頃、台北にいたタンはコンピューターを手に入れ、世界中のコンピューターの天才たちを始め、多くの人々と繋がり始めていたのです。
タンさんは当時を振り返り、次のように述べています:
「The World Wide Web showed the future where the neighbors are configured according to shared values instead of just geographic coincidences. When I was fourteen, I thought, there’s this great unknown, this great urgency of how internet is coming and nobody is prepared to face that transformation. Democracy is coming to Taiwan. Let’s prepared ourselves. (ワールド・ワイド・ウェブは、隣人たちが単なる地理的な偶然じゃなく、共通の価値観に基づいて繋がる未来を示していました。僕が14歳の頃、インターネットが来るぞ、その変革に誰も準備ができていないぞ、っていう測り知れない可能性と、否応ない時代の潮流を感じていました。そして、「台湾にも民主主義が来るんだ。さあ、準備しよう」って、そう思ったんです。)」(『Good Enough Ancester』より)
このようにタンにとって民主主義とは、「いつも、すでに」デジタル(=)民主主義だったのです。
この「無限の可能性の時代」の準備としてタンさんが取った行動は、次のようなものでした:
「Let’s slow down. Let’s get ready for it. It’s almost like this breaking out of the cocoon moment. I needed to isolate myself, to retreat into a place without computers, without electricity. And figure out what I really am. So I told my mon that I need some time alone. (ゆっくりと。準備をしましょう。まるで、繭から抜け出すような瞬間、とでも言いましょうか。私には、自分自身を孤立させ、コンピュータも電気もない場所へ引きこもる必要があったんです。そこで、自分が本当に何者なのかを見極めたかった。だから母には、「少し一人になる時間が必要だ」と伝えました。)」
お母様は同意し、タンさんの希望にぴったりの山小屋を見つけてくれました。
映画のこのくだりの映像と音から察するにその山小屋は、近くに寺院がある、僧侶が修行をするような山の中にあったようです。
そこでの座禅(瞑想)を通してタンさんは、「自分が本当に何者なのかを見極め」ると同時に、「無限の可能性の時代」へと「命懸けの飛躍」を行う準備を整えます。
この点についてタンさんは次のように述べています:
「I didn’t know how many days I needed. I lost track of time. I remember visualizing this gap between the traditional societal values and the new technology that are emerging, and see this not as a chasm or as a cliff, but just as an invitation, a crack in everything where light can get in. (どのぐらいの時間が必要なのか分かりませんでした。時間の感覚を失っていました。伝統的な社会の価値観と、今まさに現れつつある新しいテクノロジーの間にある隔たりが見えてきたのを覚えています。それを、深い裂け目や断崖絶壁としてではなく、一つの招待状として、つまり光が差し込む「あらゆるもののひび割れ」として見えたことを。」
座禅(瞑想)を通して「向こうからやって来た」こうした考えが、デジタル民主主義(DD)(=交換様式Dを基にする社会(D))の軸となる概念であるpluralityの原点です
(注:「向こうからやって来る」とは、「Dは向こうからやって来る」というように、柄谷さんが交換様式Dを論ずる際の命題です。)
いかなる意味でこれがpluralityの原点なのかを理解するために、もう少し話を進めましょう。
4.
上記のようなpluralityの原点が「向こうからやって来た」後のタンさんについて、彼女のお母様は次のように語っています:
「Ever since then, she became much softer. Really soft and very feminine. (それからというもの、彼女は本当に柔らかくなっていきました。とても優しく、そして女性らしくなったのです。)」
このお母様の言葉続き、タンさんは次のように言っています:
「After the cabin, I refused to let gender stereotypes define me. I am a pluralist. By pluralist, I mean that I’m non-binary. And this taking all the sides is also part of what I am. (あの山小屋で過ごして以来、私は性別の固定観念に自分を縛り付けさせないことにしました。私は多元主義者です。多元主義者というのは、つまり私がノンバイナリーであるということです。そして、あらゆる側面を受け入れるということもまた、私の一部なのです。)」
Q.コロぴょん、ノンバイナリーという概念について、特にジェンダーにおけるそれとの関係で、詳しく説明してください。
男性と女性、あるいは、「伝統的な社会の価値観」と「今まさに現れつつある新しいテクノロジー」といった、常識的には対立すると見做される立場の、どちらか一方につくのではなく、それぞれのうちにある「正しいもの」を抽出し、それを組み合わせることで、新しい、より良いものを構築すること。
それがpluralityであり、ノンバイナリーと言えます。
そしてタンさんが柄谷さんの『トランスクリティーク カントとマルクス』を読んだ時、柄谷さんの言うparallax(視差)こそが、御自身の考えるplurality/non-binaryであるとお考えになったことでしょう。
Q. コロぴょん、オードリー・タンさんの「plurality」という概念には、柄谷行人さんの「parallax」という概念が大きな影響を与えているように見受けられます。その点を詳細に説明してください。
また柄谷さんに言わせれば、plurality=parallaxこそが、彼の盟友であるジャック・デリダの脱構築の真髄ということになるはずです。
(柄谷さん自身が語る、デリダおよびポール・ド・マンとの交流や、自身の仕事と脱構築との関係については次のインタビューを参照のこと)
5.
一見すると対立するもの、あるいは、無関係のもの(例:女性と男性)のそれぞれを「抽象化」し、それを「分割」し、分割した部分々々の内から「正しい=良い」と思われるものを抽出し、それを組み合わせてより良いもの(例:李登輝さんが打ち出した「新台湾人」)を構築し、そのパターンを認識し一般化すること(パターン認識・一般化)。(注:「新台湾人」については『オードリータン デジタルとAIの未来』、121~3頁を参照のこと)
言うまでもなく、この新しい人間の構築は、「抽象化」、「分割」、「パターン認識・一般化」という手順(アルゴリズム)を踏むというコンピュテーショナル・シンキング通りに行われています。
そしてコンピュテーショナル・シンキングを基にしたこの新しい人間の構築は、以下の新聞インタビューで浅田さんが言わんとしていることだと思われます。
また、浅田さん同様、ドュルーズ&ガタリから多くを学んだアントニオ・ネグリ&マイケル・ハートは、こうした新しい人間の構築を、「アイデンティティ(identity)から主体性(subjectivity)へ(の移行)」と呼びました。
このidentityからsubjectivityへの(生成)変化と、その変化によって絶えず立ち現れる人間がそれぞれ、浅田さんが多くを学んだミシェル・フーコーの言うagencyおよびagentと言うことが出来るでしょう。
Q. コロぴょん、ミシェル・フーコーは、agentやagencyといった概念の哲学的探求に貢献した代表的な人物と考えてよいですか?
そして「D=DDを構築する人間」という新しい人間としてのagentの構築に最適なのが、「コンピューター/AI教育の父」であるシーモア・パパート元MIT教授のお弟子さんであるロバート・ラスムセンさんが開発したレゴ・シリアス・プレイ(LSP)です。(注:タンさんは、パパートさんの間接的な孫弟子にあたると言ってよいのではないでしょうか。)
LSPは次のような手順(アルゴリズム)で行われます:
まず、組織全体の目標(例:東地中海文化圏としてのD=DDの構築)に関連する問い/課題(例:その構築において自分がやってみたいこと)が設定
複数の参加者がそれぞれ課題の回答をレゴで表現し(抽象化)、
その構築物のうちで自分が最も大切だと思う部分を切り取り(分割)、
それを、他の参加者の構築物の最も大切な部分と、全体の目標と照らし合わせてながら繋ぎ合わせ(アルゴリズム/プログラム)、
それを基に全員が心から納得出来る組織全体のシンプルな行動原理を導き出す(例:李さんとタンさんの「Taiwan Can Help」)。(パターン認識・一般化)
こうした、コンピュテーショナル・シンキングに基づく協働が、「一つの固定された視点ではなく、複数の視点を行き来することで、より深い理解や新たな解決策が生まれる」というplurality/parallaxを貴重とするD=DDの構築を可能にすることでしょう。
LSPはそうしたエージェント(探求学習者)を育のに最適な「修行(トレーニング)」です。
そうしたことからシン校は、D=DDの構築に向けて、共育のあらゆる場面にLSPを取り入れていきます。
(続く)
一覧へ戻る

シンギュラリティ高等学校で、
自分自身の可能性を高め、
AIとともに、未来を切り拓く

お電話でのお問い合わせ

082-288-2026

電話受付時間 火~土曜日 9時~18時