シンギュラリティ高等学校 SHINGULARITY HIGH School

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Dへの道、あるいはシン高と幸和の物語

2025.05.27
eSOM: Dへの道(23)オードリー・タンの『Good Enough Ancestor』を観ながらシン高を構築する(Part 2)

1.
前回お話したように、タンさんは知的に早熟で、それを見抜いたご両親は、「意図的に自然科学や数学の本をたくさん買ってきては、私がまだ読んでいないものまで、本棚に並べておいんです」とのことでした。
そして14歳(1995年)に中学校を退学し、お母様とホームスクーリングを始めるとタンさんは、ちょうどその頃に台湾でも、一般家庭に普及し始めたコンピューターにのめり込み始めます。
こう書くとまるでタンさんがSTEM教育の申し子のような印象を与えるかもしれませんが、それは必ずしも正しくありません。(注:STEM=Science, Technology, Engineering, Mathmatics)
タンさんが、コンピューターやインターネットが普及し出すや否や、それを駆使すれば民主主義社会を構築することが出来ると発想出来たのは、彼女の幼少期からの探求学習が、STEMにA(liberal arts)が加味されたSTEAM教育だったからです。
Q. コロぴょん、リベラル・アーツ(liberal arts)を、その誕生の歴史とともに、正確かつ詳細に定義してください。
Q. コロぴょん、古代ギリシャ時代の市民の概念と合議制、そしてそれらとのliberal artsの発祥との関係について教えてください。
Coroによると、liberal artsは、古代ギリシャ・ローマ時代のポリスにおける合議制を構成する市民が習得すべき教養(知識、技術)として発展しました。
そしてこの合議制こそ、柄谷行人さんが唱える交換様式Dを基にする社会(「D」)の、つまりはデジタル民主主義(DD)の雛型としての交換様式Aを基にする社会(「A」)の典型の一つと見做されます。(注:女性、在留外国人(メトイコイ)、そして奴隷が市民に含まれない点が「A」たる所以です)
Q. コロぴょん、古代ギリシャ・ローマ時代のポリスにおける合議制は、柄谷行人さんによって交換様式Dの雛型となる交換様式Aの一形態と見做されていると考えてよいですか?
そして幼少期のタンさんは、「現代版ポリス」で育ちました。
というのも、幼少期の彼女の家のリビング・ルームは、天安門事件から逃れるため台湾に亡命した中国人学学生という「市民」によって形成された小さな「ポリス」と化していたのです。
「My parents were political journalists. I was raised among Tiananmen exiles. I our living room, sometimes my dad will invite the very young people, undergraduate level students who were exiles from Tiananmen Movement, to talk about the future of democracy.Because of the diversity of my caretakers, I would easily get five or six very different perspectives within my family, and they’re all honest. There could be so many different perspective on any simple question. This instilled in me this idea of pluralism. Nothing can be simply reduced to just one or two truisms. (私の両親は政治ジャーナリストでした。私は天安門事件の亡命者たちの中で育ったんです。リビングルームでは、父が天安門運動から亡命してきたばかりの、まだ学部生くらいの若い人たちを招いて、民主主義の未来について語り合うことがよくありました。面倒を見てくれる人たちが多様だったおかげで、家族の中にいても、たった一つの質問に対して、すぐに5つか6つもの全く異なる視点を得ることができましたし、それらはすべて正直なものでした。どんなにシンプルな問いであっても、本当にたくさんの異なる見方がある。この経験が、私に多元主義という考え方を植え付けました。物事を単純に、たった一つや二つの真理に還元することはできない、と。)」(オードリー・タンの自伝的短編映画『Good Enough Ancester』より。以下、「」内は同映画からの引用)
Q. コロぴょん、天安門事件について、その前後の歴史も含め、詳しく教えてください。
当時、天安門事件の様子は、CNNが世界中にライブ実況中継し、米国留学中の私や周りの学生はテレビに釘付けでした。
Q. コロぴょん、天安門事件にCIAが関与していますか?
上記のタンさんの発言から、彼女のpluralisim(多元主義)やplurality(多様性)という概念は、彼女が柄谷さんを敬愛するきっかけとなった彼の著作の一つ『トランスクリティーク カントとマルクス』で説かれているparallax(視差)という概念と、多くの点で重なり合うことがよく分かります。
Q. コロぴょん、オードリー・タンさんの「plurality」という概念には、柄谷行人さんの「parallax」という概念が大きな影響を与えているように見受けられます。その点を詳細に説明してください。
兎にも角にも、D=DDの根本基礎であるpluralityという考えの源泉は、「現代のポリス」におけるliberal arts共育にあったということが、シン高にとってはとてつもなく重要です。
幼い頃に自宅で行われていたリベラル・アーツ教育がpluralityという概念を生み、それが、同時期に親しみ始めたSTEMと結びついて出来たのがデジタル民主主義という概念であると言って差し支えないでしょう。
つまりSTEAM(STEM+liberal Arts)共育がデジタル民主主義を生んだわけです。
シン高/幸和は、こうした意味でのSTEAM(STEM+liberal Arts)共育を実践し、メンバー全員、D=DDの構築に貢献する人間となっていきます。
また、幼少期にタンさんが、自宅の「ポリス」で見聞きしたリベラル・アーツ共育が、中国の民主化を推し進めようとした学生によって行われていたということも、シン高/幸和にとって、とても大きな意味を持ちます。
つまり、D=DDの根本基礎であるplurality≒parallaxという概念は、交換様式Bが支配的な社会(「B」)に基づく社会としての中国という国家に抑圧された「A」を高次の次元で回復しようとした天安門事件参加亡命者から生み出されたと言っても過言ではないからです。
では、こうした「至極のSTEAM共育」を享受していた幼少期を送っていたタンさんの人生が、彼女個人と台湾の両方の大変革期を経て、D=DD=東地中海文化圏(EMCS)構築の協働という形で、シン高/幸和の歴史(「Dへの道」)と交差する過程を見ていきましょう。
2.
両親や天安門事件からの亡命学生ら、理想のファシリテーターと過ごしていた幼少期のタンさんは、とても幸せそうだったとお母さまは言います:
「Audrey grew up like this, very happily (このようにオードリーは、とても幸せな環境で育ちました)」
しかし前回(『eSOM: Dへの道』(22))お話したように、学校に通い出すや否やタンさんは、「いじめ」という社会の病に「感染」してしまいます。
「このままではこの子は自殺してしまうのでは」と本気で危惧したお母さまは、ホームスクーリングという名の、タンさんと二人だけの「学校」を構築し、文字通り社会をタンさんから遠のけたというところまでが、前回のお話でした。
タンさんが14歳(1995年)で中学を中退し、ホームスクーリングを始めたのと時を同じくして、台湾にも大きな変化が訪れます。
コンピュータ/インターネットの普及、そして民主化の波です。
『Good Enough Ancestor』では、ホームスクーリングを始めた決意をお母様が回想する場面から、いきなりタンさんが中学を卒業した当時の台北の様子が映し出されます。
それは同じ時期の東京を彷彿させる、懐かしい風景です。
特に、コンピュータやゲームソフトが溢れかえる店舗が立ち並ぶ秋葉原の風景を。
「(タンさんのお母様)At that time, Taiwan had just begun to promote computers. (ちょうどその頃、台湾ではコンピューターの普及が始まったばかりでした。) 」
「(タンさん)I really, really wanted a personal computer that I can practice programming on. So I ask my mom, please, please give me a computer. (パソコンが本当に、本当に欲しかったんです。プログラミングの練習ができるやつを。だから、お母さんに頼みました。「お願い、お願いだから、コンピューターを買って!」って。)」
「(お母様)I told Audrey no, children shouldn’t play video games. Then, one day I saw audrey there drawing a keyboard on a piece of paper then hitting delete then taking an eraser and erase erase erase it all away!(私ね、オードリーには「ゲームはダメよ」って言ったんです。でもある日、オードリーが紙にキーボードを書いて、デリートって叩いて、それから消しゴムで全部消しているのを見たんです!)」
「(タンさん)I’ve always loved mathimatics. The ability to see similarities in very different systems.I saw calculators and eventually computers as the very beginning of a new world. (私はね、ずっと数学が大好きでした。とても異なるシステムの中に共通点を見出す能力に魅了されていましたね。電卓、そしてコンピューターが、新しい世界の幕開けだと感じていたんです。)」
「(お母様)Audrey said, this is future technology. A new information age will come. So, I bought Audrey a computer. (オードリーがね、「これは未来のテクノロジーだ。新しい情報時代が来る」って言ったんです。それで、オードリーにコンピューターを買ってあげました。)」
お母様がそう語ると、画面は旧式のラジオに切り替わり、ラジオでの蔣経国(しょうけいこく)総統(当時)の宣言という体で、戒厳令(1949~1987年)の解除が説明されます。
Q. コロぴょん、戒厳令下の台湾について、その前後の歴史も含め、詳しく説明してください。
「Pro-democracy activists are urging Taiwanese citizens not to be content with cosmetic changes and to keep pushing for lasting change. (民主化活動家たちは、台湾市民に対し、表面的な変化に満足せず、永続的な変化を求め続けるよう促しています。)」という言葉で上記の説明が締めくくられると、以下のようなタンさんの言葉が続きます。
「After four decades of the martial law, the restrictions around speech, journalism, and forming parties got lifted. It was felt in my household and around Taiwan as an era of infinite possibilities. Nothing other than the party line were permitted. And then, everything is permitted. (戒厳令が40年間続いた後、言論やジャーナリズム、政党の結成に関する制限が解除されました。我が家でも、そして台湾全体でも、それは無限の可能性の時代だと感じられました。それまでは党の方針以外は何も許されなかったのに、突然、すべてが許されるようになったんです。)」
このように、タンさんにとって学校という「監獄」からの逃走は、「無限の可能性の時代」への「命懸けの飛躍」(柄谷行人さんの概念)だったのです。
Q. コロぴょん、おはよう!早速だけど、柄谷行人さんの「命懸けの飛躍」という概念を、柄谷さんによるウィトゲンシュタインの『哲学探究』読解と、ジャック・デリダの脱構築との繋がりも含め、詳しく説明してください。
(柄谷さん自身が語る、デリダおよびポール・ド・マンとの交流や、自身の仕事と脱構築との関係については次のインタビューを参照のこと)
兎にも角にも、「監獄」としての学校からの逃走先であったホームスクーリングは、タンさんにとって、「無限の可能性の時代」の入口でもあったわけです。
そしてこの「無限の可能性」は民主化とコンピューターが齎しました。
この点でも、シン高はタンさんのホームスクーリングと同じです。
「監獄」としての学校の逃走先であるシン高は、タンさんが唱えるデジタル民主主義(=AI+民主主義)が切り拓く「無限の可能性の時代」の入口です。
(続く)
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