eSOM (イゾーム)
Dへの道、あるいはシン高と幸和の物語
2025.05.09
『Dへの道、あるいは幸和物語』(6):NYC仏教、書道、そして『バガボンディズム(いき/cool)の誕生』
1.
『Dへの道』(5)でお話した「家庭基礎」のスクーリング第一回目の内容だけでもすでに、家庭科以外の様々な教科と連動しています。
まずは書道(芸術)。
書道という芸術の「構築」を通して「フロー」とは何かを身体で理解します。
というのも、卓越した書家でもあった宮本武蔵の著わした『五輪書』で説かれている「空(くう)」が「フロー」であるという学説があるからです。
そこで必修科目「国語文化」では、『五輪書』の最終章「空の巻」について学びます。
一方、「家庭基礎」の第一回目のスクーリングの内容であるSDGs(とその主体である国連)や ESG投資については社会科の公民で学びます。
また、SDGsの目標「16. 平和と公正をすべての人に」と関係し、あらゆる「地球規模の課題」において、その解決が最優先されるべき現在の国際紛争については、その解決策と合わせて、地歴を中心に社会科の全科目で探究されます。
こうしてシン高のカリキュラムは、家庭科を中心に複雑な体系を形作っていきます。
2
では、第二回目以降の衣、食、住に関してはどうでしょうか?
まずこれも、「16. 平和と公正をすべての人に」に関係してきます。
どのようにして?
手短に言えば、人間生活に欠かせない衣食住の主な生産者である発展途上国の人々に対する、一部の人々による収奪や搾取、そしてその結果としての途上国の貧困が、国際紛争の根本原因であることが、社会科学によって証明されています。
①衣食住、②(ポスト)植民地主義、③貧困、戦争、という三点の歴史的、理論的な繋がりの詳細は、柄谷さんの交換様式論との関係で、数年後に開校される予定の「幸和大学」(仮称)で学びます。
シン高の社会科は、その「予科」の位置づけです。
その一方で衣食住は、technology(技術)とengineering(モノづくり)、従ってscience(科学)、そしてart(芸術)とも密接に結びついています。
つまり家庭科は、STEAM教育の「入口」でもあるわけです。
スクーリング第二回目の「「バガボンドとしての私」の構築(1):衣」との関係で、国語の必修科目「言語文化」では、九鬼周蔵の『「いき」の構造』を読みます。
紛れもなく『「いき」の構造』は、シン高にとって最も大切なテキストです。
『「いき」の構造』の詳しい解説はこちら:
九鬼先生は、日本の美意識である「いき(粋)」を体得した人である「粋人(すいじん)」とは、「「継続された有限性」を継続する放浪者」であると述べています。
(注:数多くの優れた師に恵まれた私ですが、普段はその使用を避け続ける「先生」という称号付きで呼ぶのは、九鬼周蔵、そして私が「「いき」の究極の表現」と見做す映画を世に送り出し続けた小津安二郎のみです。)
『「いき」の構造』の英訳では、この引用中の「放浪者」は「vagabond」と訳されています。
そして、この箇所で論じられている「放浪者=バガボンド=粋人」は、『バガボンド』の連載途中から、井上が毛筆で描き始めた「武蔵=バガボンド」によって至極の芸術的表現を与えられていると私は考えます。
実際、井上が描く「バガボンド(武蔵)」はひたすら放浪しており、そしてその出で立ちと風貌は、九鬼が説く「いき」の要素を兼ね備えています。
3.
「バガボンド/粋人」が、探求学習者として「幸和」を「A」として構築し、そして「幸和=A」は、「D」を構築する「竜馬」になります。
となると、「いき」こそが「幸和」メンバーを「バガボンド」にし、「A」、そして「D」を構築せしめる原動力ということになります。
「「運命」によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である」という「いき」の定義は、そのことを指示していると考えられます。
つまり、この日本に固有の文化を世界化することで「Dの文化」が誕生するはずです。
「世界化した「いき」」を「いき/cool」と表記することにしましょう。
なぜなら、私が長年アメリカ(「米国」のみとは限らない)で生活するなかで、「cool」という英語が、私が理解する「いき」に最も近いと感じたからです(注:それは日本で言う「クール」とは「近からず遠からず」です)。
そして「いき/クール」は、『クールの誕生』(1957年;録音は1949、1950年)が生んだと言ってよいであろうマイルス・デイビスの『Kind of Blue』(1959年)の一曲目「So What」のビル・エバンスによるピアノのイントロと、ジョン・コルトレーンの『至上の愛』(1965年1月;録音は1964年12月9日)によって、究極の音楽的表現が与えられます。
「D」を構築するにあたって、「Dの文化」である「いき/cool」の構築が不可欠です。
私は、学者としての最後の論文「A Secret History」でそれを「バガボンディズム」と名付けました。
シン高が「バガボンディズム(いき/cool)の誕生」の場となります。
4.
実は、シン高は、1950~1960年代のニューヨーク・シティ(NYC)での「クールの誕生」と直接関係しています。
NYCが、校長である私の故郷の一つであるということではありません。
「クール」や「モード」といったジャズのスタイルを生んだ、マイルス・デイビスやジョン・コルトレーンら1950~1960年代のNYCのジャズメンは、鈴木大拙の仏教の多大なる影響下にありました。
1950年代に鈴木は、NYCのハーレムに位置するコロンビア大学で講義を行っていたことも、鈴木の仏教が、当時のNYCのミュージシャンや作家(ビート・ジェネレーション)に多大なる影響を及ぼした一因です。
一方、鈴木は、京都学派哲学の中核的な存在であった西田幾多郎と同郷であり、生涯に渡っての親友でした。
そして西田と九鬼は、西田が1945年6月7日にこの世を去るわずか十日前に、病床で九鬼(1941年5月6日没)の墓碑の文字(ゲーテの「さすらい人の夜の歌」の一節)を揮毫するほど、精神的に深いつながりを持っていました。
つまり、『「いき」の構造』で九鬼が「いき」の三大要素の一つとして論じる仏教が、西田哲学、さらにはマイルスやコルトレーンの1950年代、60年代の作品に影響を与えた仏教と通底しているわけです。
5.
1950年代、1960年代のNYCの芸術活動と、それに影響を与えた鈴木大拙の仏教を通して、「いき」と書道が繋がっていきます。
ここで重要な役割を担うのが、「ビート・ジェネレーション」の中心人物である詩人、アレン・ギンズバーグです。
「ビート・ジェネレーション」については、こちら:
ギンズバーグが、サンフランシスコで活動し、書道を通して鈴木大拙の仏教、特に禅に強い関心を持つようになったという話は有名です。
彼は、1950年代後半にサンフランシスコの禅センターに通い、鈴木大拙の講義を聴いたり、書道のワークショップに参加したりしました。
ギンズバーグは、禅の思想や瞑想の実践、そして書道の持つ即興性や精神性に深く感銘を受け、それが彼の詩作にも大きな影響を与えたと言われています。
彼の詩には、禅の「今この瞬間」への意識や、直接的な体験を重視する姿勢が見られます。
また、書道の持つ一筆書きのエネルギーや、形式にとらわれない自由な表現は、彼の詩のスタイルにも通じるものがあります。
ここで鈴木の仏教の影響下で書かれたギンズバーグの詩について言われていることは、武蔵が『五輪書』で語っていることに通じるものがあると思いませんか?
いずれにせよ、鈴木大拙の著作や講義を通して禅に触れたビート・ジェネレーションの詩人や作家は他にもいましたが、特にアレン・ギンズバーグは、書道という具体的な入り口から禅の世界に入り、その影響を自身の芸術に深く反映させた人物として知られています。
こうして、武蔵(バガボンド)と仏教を通して繋がった「いき」と書道が、鈴木大拙と、彼の影響下にあった1950年代、60年代のNYCのジャズや文芸運動を介して、より強固に関係することになります。
そして、「いき/cool」は、仏教と書道を通じて一挙に世界化し、「Dの文化」としての「バガボンディズム」へと向かいます。
シン高から。
安浦コモンズから。
(続く)